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追悼 ズザナ・ルージイチコヴァー(1927.1.14~2017.9.27)

ルージチコヴァー

第2次大戦後のチェンバロの復興者、ズザナ・ルージイチコヴァー女史が9月27日、就寝中に安らかに亡くなったと、彼女の家族から発表されました。90歳でした。謹んでご冥福をお祈りいたします。

1927年、彼女はチェコ人の父とユダヤ人の母のもと、チェコの第4の都市、プルゼニで生まれました。初めはピアノを学びましたが、彼女の才能に驚いたピアノ教師のすすめでチェンバロに転向しました。その後、ワンダ・ランドフスカに師事することが決まりましたが、1939年にナチス・ドイツがチェコ全域を占領したため実現しませんでした。

1942年に彼女の一家はユダヤ人だったためテレージエンシュタットに移送されます。1943年に彼女の父は亡くなり、その後、母親とともにアウシュヴィッツ・ビルケナウ、ベルゲン・ベルセンへと移送されました。彼女は各収容所で想像を絶する残虐行為を目撃してきましたが、ベルゲン・ベルゼンについては「それまでも地獄だったが、ここは最悪の地獄だった」と述懐しています。

ホロコーストを生き残ったルージイチコヴァーはチェコスロヴァキアに戻り、体力の回復と音楽の勉強の遅れを取り戻し、プラハ音楽院に入学。1951年には音楽院で教職に就き、作曲家のヴィクトル・カラビス(1923-2006)と出会い、1952年に結婚しました。チェコスロヴァキア国内では共産主義体制に協力しなかったことから、活動をかなり制約されていましたが、1956年にミュンヘン国際コンクールで優勝すると、外国からの出演オファーが届くようになり、バロック音楽復興の旗手として活躍するようになりました。そして、1989年のビロード革命時にはプラハ音楽院とチェコ・フィルのストライキに主導的に関わりました。晴れて民主化が成ると、彼女は長く教職に就きながら、与えられなかった「教授」の肩書を初めて得ることができました。

彼女はLP、CDで100枚以上の録音を残しています。それを分類すると、以下の4つに分けることができると思います。

(1)チェコ・スプラフォンによる録音

彼女のチェコでの録音はスプラフォン・レーベルからCD化されています。彼女のソロ録音を始め、ヴァーツラフ・ノイマンとともに創設したプラハ・チェンバー・ソロイスツとの録音、夫カラビスの作品集への参加など、バロック音楽だけではない幅広い作品に触れることができます。

 

(2)フランス・エラートによる録音

一方、1960年代にはフランスのエラート・レーベルと契約し、バッハの鍵盤楽器のための作品全集の録音を開始。1975年に世界初の全集録音を完成しました。2016年10月、ワーナークラシックスが彼女の90歳の誕生日を記念して、この全集をオリジナル・マスターテープからの24bit/96kHzリマスタリングによりCD20枚組としてBOX化したのは記憶に新しいところです。

 

(3)日本コロムビアによる録音

また、1970年代には、チェコ・スプラフォンと日本コロムビアの提携関係から、初期のデジタル録音(PCM録音)で日本コロムビア制作による録音を数枚行い、LPレコードやCDで幾度となく再発売されたことをご記憶の方も多いことでしょう。

 

(4)その他のレーベルへの録音

90年代以降のデジタル録音も、世界各地のレーベルへ残されています。

 

残された録音により、20世紀後半のチェンバロ演奏をリードした彼女の偉大な業績を偲ぶことができると思います。
(タワーレコード)

カテゴリ : Classical

掲載: 2017年09月28日 00:00