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ヘルベルト・フォン・カラヤン(1908~1989)生誕110周年・初録音80周年記念特集

カラヤン生誕110周年・初録音80周年記念特集

ヘルベルト・フォン・カラヤン
1908年4月5日、ザルツブルク~1989年7月16日、ザルツブルク近郊アニフ

Beethoven: Symphony No. 5 / Herbert von Karajan, conductor · Berliner Philharmoniker / Recorded at the Berlin Philharmonie, February 1972.

音楽という枠に留まらない20世紀を象徴する人物の一人。1926年ウィーン音楽アカデミーで指揮法を学び、1929年ザルツブルク・モーツァルテウム管を指揮してデビュー。このコンサートの成功をきっかけに同年、ドイツのウルム市立歌劇場のオペラ指揮者に就任。1934年にはアーヘン市立歌劇場の指揮者となり、翌年音楽総監督に就任しました(1941年まで)。1934年にはザルツブルクで初めてウィーン・フィルを指揮しています。1938年には初めてベルリン・フィルとベルリン国立歌劇場に客演。ベルリン国立歌劇場での《トリスタンとイゾルデ》公演は、ベルリンの新聞紙上で「奇跡の人カラヤン」と評され、その名声は世界に広まりました。1939年にはベルリン国立歌劇場の音楽監督に就任しています(1945年まで)。

ナチス党員だったため、戦後、連合軍により指揮活動を停止されましたが2年後に復帰。1948年にはウィーン交響楽団(1960年まで)、ウィーン楽友協会(1964年まで)の音楽監督となり、同時にイギリスのフィルハーモニア管弦楽団の指揮者も務め、同団とのレコード録音も盛んに行いました。1954年にヴィルヘルム・フルトヴェングラーが亡くなると、1955年にその後任としてベルリン・フィルの芸術監督・常任指揮者に就任(1989年まで)。1956年にはウィーン国立歌劇場の音楽監督(1964年まで)、ザルツブルク音楽祭の芸術監督(1960年まで)。このようにヨーロッパ各国の重要ポストを次々に手に入れ、またミラノ・スカラ座でドイツ・オペラの指揮も兼務していたため、「ヨーロッパの音楽総監督」の異名をとるようになりました。

Dvořák: Symphony No. 9 "From the New World" / Karajan · Berliner Philharmoniker/ Recorded at the Berlin Philharmonie, January 1966

1959年の来日時にテレビ/ビデオの重要性に気付き、1965年に映画フィルム・プロダクション「コスモテル」を設立。以後、オーケストラ曲やオペラの映像制作にも取り組むようになります。1967年には自らの芸術的理想を実現するため、ザルツブルク復活祭音楽祭を創設し、芸術監督に就任。同年にはベルリンにヘルベルト・フォン・カラヤン財団を設立し、1969年に同財団主催の第1回国際指揮者コンセールを開催しました(第1位オッコ・カム)。同年にはシャルル・ミュンシュの急逝を受けて、パリ管弦楽団の芸術監督に就任しています(1971年まで)。1980年には最初のデジタル録音を行いました(モーツァルトの《魔笛》全曲、ワーグナーの《パルジファル》全曲)。以後、カラヤンの録音はすべてデジタルで行われ、1982年以降の新譜はLPとともにCDでも発売されるようになりました。

Brahms: Symphony No. 1 / Herbert von Karajan, conductor · Berliner Philharmoniker / Recorded at the Berlin Philharmonie, May 1973

1982年、女性クラリネット奏者ザビーネ・マイヤーのベルリン・フィル入団を強行しようとして楽団と亀裂が生じると、ウィーン・フィルとの関係を深め1987年にはウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートを初めて指揮しました。1989年4月24日、ベルリン・フィルのポストを辞任。同年7月16日、ザルツブルク郊外アニフの自宅で急逝。81年4ヶ月の生涯を閉じました。
(タワーレコード)

「楽壇の帝王」の名をほしいままにした20世紀を代表する名指揮者、ヘルベルト・フォン・カラヤンが生誕110年を迎えました。没後29年が経過しましたが、彼の芸術が現代に力強く生き続けていることは、カラヤン生誕110周年&初録音80周年記念で発売されたUHQCD(メモリーテック株式会社が開発した新製法の高品質CD)やDVDのシリーズを見ても明らかです。

(1)カラヤン名盤UHQCD Vol.2〈30タイトル〉

オーケストラ曲では、ベートーヴェン、ブルックナー、ブラームス、マーラーといったドイツ&オーストリア系の名作交響曲群から、ビゼーの《アルルの女》、ワーグナーの管弦楽曲集といった親しみやすい名曲まで、カラヤンの最晩年にあたる1980年代のデジタル録音で14タイトルが選ばれています。

 

 

 

 

カラヤンの初録音は戦前のSPレコードの時代、1938年ですが、以来、半世紀にわたって録音を続け、CDの収録時間に換算して約600枚分もの録音を残しました。これらの録音が世界に販売されることで「カラヤン」の名と芸術は有名となり、例えば1954年の初来日や1955年の初訪米の前に、日本やアメリカの愛好家にすっかり知られていました。また、一部のお金持ちや知識層のものだったクラシック音楽を、豊かな音楽性と抜群の統率力を背景とした、美しい彫琢をもった、劇的効果に富んだ分かりやすく魅力的な演奏により大衆に解放したことも特筆されるでしょう。ハンサムな容姿も相まって、1950年代には本場ヨーロッパでクラシックのアーティストとしては他に類を見ない大スターとなり、その派手な私生活(ヨットやジェット機を乗りこなし、フランス人のモデルと結婚する)もマスコミの注目を集めました。この人気がレコードの販売を伸ばし、コンサートの観客動員にも繋がり、また次の録音が行われる、といった「永久機関」を生みだしました。1982年にレコードに代わる新しいメディア、CDが登場すると、自らのレパートリーを全てCDで再録音する、と宣言して1989年に亡くなる直前まで録音をし続けました。つまり、この14タイトルは、初めからCDで発売することを想定して録音されたものばかりです。全ての曲が、カラヤンが繰り返し録音してきたものだが、その最終結論が、21世紀の技術の高品質CD、UHQCDで蘇る意義は大きいと思います。

 

 

 

 

オペラと声楽曲を収めた16タイトルは、1959年のアナログ・ステレオ録音の《アイーダ》から、最後のオペラ録音となった1989年の《仮面舞踏会》まで幅広くセレクトされています。レコード会社にとってオペラ録音は多額の費用がかかる巨大プロジェクトですが、カラヤンは1960年代半ばに、実際のオペラ上演のリハーサル時に録音を行い、その費用を劇場と折半するというアイディアを思いつき、実行に移しました。レコードがオペラ上演を宣伝し、オペラ上演がレコードのセールスに繋がるという「永久機関」がここにも生まれました。今回のシリーズでは《カルメン》《フィガロの結婚》《ドン・ジョヴァンニ》《ばらの騎士》《パルジファル》が、こうしたやり方で生まれた名盤です。

(2)カラヤンDVD名盤選2018〈15タイトル〉

 

 

 

 

これらには音楽家としていち早くテレビ、ビデオの重要性を認識した彼の姿が刻まれています。彼は1959年の来日時、見知らぬ日本人から次々に声をかけられるのを不思議に思い、それが前日のテレビ中継が理由と分かり、その影響力の大きさに驚きました。そして1965年、自らコスモテル社を設立して、コンサートやオペラの映像作品化に力を注ぎました。今回のシリーズでも、多くはカラヤン自身が芸術監督を兼ね、カメラワークを駆使した文字通りの「映像作品」となっています。オーケストラ曲では、目を閉じて指揮をする彼の有名な姿と、彼が演奏に抱く映像的なイメージがともに映し出されてます。オペラでは演出家もこなした彼の経験とアイディアが生き、《カルメン》と《道化師》では彼自身が役者として写り込んでいる、というサプライズも用意されています。上記(1)のシリーズと併せて鑑賞することで、多才な芸術家にして放射思考の持ち主、カラヤンの驚くほど広範な全体像に迫ることができると思います。

カテゴリ : Classical

掲載: 2018年04月05日 00:00

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