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追悼 ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー(1931.5.4~2018.6.16)

カテゴリ : Classical

掲載: 2018年06月19日 00:00

ロジェストヴェンスキー

ロシアの名指揮者、ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー氏が2018年6月16日(土)、亡くなりました。87歳でした。謹んでご冥福をお祈りいたします。



シュニトケ:死せる魂(リハーサル風景)
管弦楽 : モスクワ・シンフォニック・カペレ(2003年収録)
「ロジェストヴェンスキー~指揮者それとも魔術師?」より

1931年5月4日、指揮者の父とソプラノ歌手の母のもとモスクワに生まれました。モスクワ音楽院で指揮法を父に、ピアノをレフ・オボーリンに学び、1951年、20歳のときにボリショイ劇場でチャイコフスキーの《くるみ割り人形》全曲を指揮し、指揮者としての名声を確固たるものとしました。1956年にはボリショイ劇場とともに、初めてイギリスを訪れています。その後は、国内外の名門オーケストラを指揮。
ボリショイ劇場(1954~61:指揮者、1964~70:首席指揮者)、モスクワ放送響(1961~74:芸術監督)、ロイヤル・ストックホルム・フィル(1974~77:音楽監督)、BBC響(1978~81:首席指揮者)、ウィーン響(1980~82:首席指揮者)、ソ連文化省響(1983~91:音楽監督)などを歴任。私生活では1969年にピアニストのヴィクトリア・ポストニコワ(1944~)と結婚し、しばしばピアノ協奏曲を共演、録音したほか、ピアノ・デュオでも活動しました。

日本とのかかわりでは、弱冠26歳の1957年、ボリショイ・バレエ団に指揮者として帯同し、初来日しています。1972年(41歳)には手兵、モスクワ放送交響楽団を率いて来日し、長い指揮棒を用いたアクロバティックな指揮ぶりと、ヴィルトゥオーゾ趣味の横溢したスリリングなオーケストラ演奏で日本の好楽家の話題をさらいました。1979年12月(48歳)、読売日本交響楽団に初登場し、以後来日を重ね、90年(59歳)から同団の名誉指揮者を務めました。ショスタコーヴィチの全15曲の交響曲を指揮するなど、長年ロシア音楽の紹介に努めました。2001年秋(70歳)には、勲三等旭日中綬章を受章しています。読響との最後の共演は、2017年5月19日(86歳)の第568回定期演奏会。2017年2月に亡くなったスクロヴァチェフスキの代役として登場し、ブルックナーの交響曲第5番(シャルク版)で巨大なスケールの大熱演を聴かせ、その演奏は語り草となっていました。

ここではロジェストヴェンスキーの映像を交えながら、その代表的名盤をご紹介いたしいます。

作曲家のアンソロジー

チャイコフスキー、プロコフィエフ、ショスタコーヴィチ、ヴォーン=ウィリアムズ、それぞれの作曲家の作品をまとめたBOXをご紹介いたします。現在ブルックナーとシベリウスのBOXが入手困難となっているのは残念です。

 

夫妻でのピアノ・デュオ

妻でピアニストのポストニコワとは、指揮者としてしばしば協奏曲を共演したほか、ピアノ・デュオでも活動しました。

 

映像作品

イギリスでのコンサート映像2本と、オペラの全曲映像2本をご紹介いたします。

 

1960年代録音

30代の若さながら旧ソ連を代表する才気煥発の指揮者として活躍していた頃の録音です。オイストラフ、コーガン、ロストロポーヴィチなど旧ソ連の名ソリストとの共演も多く残されています。


シベリウス:ヴァイオリン協奏曲ニ短調
ヴァイオリン : ダヴィド・オイストラフ
管弦楽 : モスクワ放送交響楽団(1965年収録)

 

1970年代録音

ロイヤル・ストックホルム・フィルやBBC響など西側のオーケストラのポストにも就き、世界的な活躍を行っていた頃の彼の姿を収めています。


プロコフィエフ:交響曲第5番
管弦楽 : モスクワ放送交響楽団(1975年収録)

 

 

1980年代録音

西側のポストとしてウィーン響の首席を3年間務めたあと、ソ連文化省響の創設にともなって再びソ連を中心に活動していた頃の録音です。


グリンカ:歌劇《ルスランとリュドミラ》序曲
管弦楽 : BBC交響楽団(1981年8月14日、ライヴ収録)
Taken from our DVD "Gennadi Rozhdestvensky at the BBC Proms" (ICAD5027)

 

 

1990年代録音

旧ソ連が崩壊し、再び西側での活躍が華やかとなった頃の録音です。

 

2000年代録音

ロストロポーヴィチ(1927~2007)、スヴェトラーノフ(1928~2002)とともに旧ソ連を代表するアーティスト、「生き証人」として悠々自適の指揮活動を行い、ロストロポーヴィチの死後は、ロシア音楽界の最長老として尊敬を集めました。