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武満徹とJ-L .GODARD

武満徹が亡くなったのは1996年の2月20日。

わたしはまだ会社員で、たまたま、夜、タクシーで移動しているとき、ラジオからながれてきたニュースで訃報を知った。

いささか個人的な話になるが、記しておきたい。

音楽にはじめて接したのはたぶん10歳か11歳で、偶然にFMでながれた《ノヴェンバー・ステップス》を聴いたからだった。オーケストラと、琵琶と尺八が一緒に演奏する? このおどろおどろしい感触、ときどき刀で切り裂くような「瞬間」のひびきは何? ステレオで左右に動く、音=場のありようは?

母に、この<たけみつとおる>なる人物──そのときはどういう漢字になるのかもわからなかった──を尋ねて、よくわからないなりに、この列島では珍しい作曲家であることを知った。

以来、この音楽が「わからない」からこそ、気になってしかたなかったし、放送でながれれば聴こうとしたし、よくわからないなりに書いている文章を読もうとした。

『武満徹対談選』『武満徹エッセイ選』(ともにちくま学芸文庫)をつくろうとしたのは、この十代はじめに受けた衝撃の延長上にある。とてもじゃないけど中学生に買えなどしない金額の、豪華なエッセイ集を図書館で何とか読み、少し経ってからは小遣いをためて買い、というふうに読んできて、何十年も経ってから、文庫だったら経済的な負担は軽減できるのではないか、若いひとでも読んでくれるのではないかと提案したものだ。事実、70年代には、何度も武満徹のエッセイは大学の入試問題としてとりあげられていた。

《ノヴェンバー・ステップス》は、良くも悪くも、ヨーロッパで生まれた楽器を組みあわせたオーケストラなる音響体と、列島で独自の発展を遂げ、それでいながら、<伝統>的には一緒に演奏することがありえなかった琵琶と尺八という二楽器を組み合わせ、<ブレンド>するのではなく、それぞれに<相対>し、いや、<対決>するような音楽のかたちを生みだそうとしたものだ。融和ではなく対峙。音響的には混じりあうこともあろうけれども、演奏する心身はそれぞれに異なり、自らの背負っているものがある、そうしたことがあるから、容易に妥協できない。この作品がニューヨーク・フィルの発足125周年で初演されたのは偶然ではないだろう。しかも1967年、世界は、翌年にパリ5月革命が勃発する、社会的変化を内部に抱えていた。いうまでもなく、ヴェトナム戦争もあった。だから、たとえばニューヨークが人種の<るつぼ>ではなく、<サラダボウル>と呼ばれることになるだろう転換期にあったともいえる。

つまりは、異文化だの世界音楽だのということばが一般化する以前に、武満徹は作品をとおして、こうしたことどもを<思考=志向>していたのだ。エドワード・サイードは『オリエンタリズム』のなかで多くのヨーロッパの作家を扱いつつ、その視点や考え方の偏狭さ、時代的なパラダイムに限定されるイデオロギーを批判したものだったけれども、いま、あらためてこの列島の作曲家について、音楽=文化というところから考えなおしてみたら、武満徹はどういう位置にいただろう。けっして容易ではない問いではあるけれど、単純に割り切れるものでもないだろうことは予想がつくはずだ。

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カテゴリ : Exotic Grammar

掲載: 2010年09月18日 13:53

更新: 2010年09月19日 21:00

ソース: intoxicate vol.87 (2010年8月20日発行)

interiew&text:小沼純一(文芸・音楽批評家/早稲田大学教授)

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