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三輪眞弘 インタヴュー

そもそもレコードや放送による音楽体験は、はたして〈音楽〉だったのか

たとえば、CDに記録された演奏を聴くことと実際の演奏を生で聴くことは同じ体験ではない、ということは比較的理解されやすい。にもかかわらず、それがどちらも同じ〈音楽〉と呼ばれているということに疑問を持つ人はあまりいないように思える。なぜなら、わたしたちは録音され、複製された〈音楽〉を、毎日のように放送やインターネット、あるいはCDやiPodといったメディアを介して耳にするという環境に慣らされてしまっているからだ。


『三輪眞弘音楽藝術 全思考 1998-2010』
三輪眞弘著
アルテスパブリッシング刊

それが演奏者不在の、どこかで録音され、複製された〈音楽〉の再生である、ということなどを意識することなしにそれを日常的に享受しているということは、あらためて考えれば不思議なことではある。わたしたちが普段、特に疑問に思うことなくやり過ごしてしまっている、〈演奏されるもの〉と〈再生されるもの〉としてのふたつの〈音楽〉の現われ。聴こえてくるのはたしかに同じ(ように聴こえる)〈音楽〉であるはずなのだが、複製メディアによって、演奏の代理による音楽の聴取体験が生まれ、ある意味では実体を伴わない〈音楽〉が登場したことによって、その体験において、何がどのよう変わってしまったのか。

 

 

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カテゴリ : Exotic Grammar

掲載: 2010年11月28日 19:15

更新: 2010年11月29日 22:12

ソース: intoxicate vol.88 (2010年10月10日発行)

Interview&text:畠中実(ICC)

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