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特集

バスキアと菊地成孔

カテゴリ : Exotic Grammar

掲載: 2010年12月20日 18:41

更新: 2010年12月20日 19:07

ソース: intoxicate vol.89 (2010年12月20日発行)

text:小沼純一(音楽・文芸批評家/早稲田大学教授)

1996年にジュリアン・シュナーベルが監督した『バスキア』は大いに期待して観たにもかかわらず、どこかピンとこない、腑におちないとの印象を免れがたかった。デヴィッド・ボウイ演じるアンディ・ウォーホルの姿は、その数年後の『オースティン・パワーズ』に一瞬あらわれるウォーホルらしき白髪のおとことともに、妙に記憶に残ったのだが。

タムラ・デイヴィスによる映画『バスキアのすべて』──原題はBasquiat  the Radiant Child──はフィクションではない。バスキア自身がでてきて、語る。まわりにいた人びとの証言がある。その意味では、近年よくあるタイプのドキュメンタリーと呼べるだろう。

この映画をみて、もうほとんど忘れているシュナーベルの『バスキア』が、どういう作品だったのか、どうしたあのような作品が、あのような撮りかたとしてでてきたのか、がわかったような気がした。気がした、だけで、どこがどう、と説明はできないし、まるでピントがはずれているかもしれないのだけれども、もしかすると、シュナーベル『バスキア』と、デイヴィス『バスキアのすべて』は、相補的に、いや、相互的にみられるべき作品なのかもしれない、とおもえたりしたのだ。フィクションでしか語りえないバスキアがあり、ノン・フィクション/ドキュメンタリーとして捉えられたバスキアがあり、それらが「わたし-たち」各人のなかで止揚されてこその「バスキア」になるのでは、と。そもそもバスキアはみずから、創作家と作品とがつなげられてしまうことについていらだちを表明していたのではなかったか。こうしたつなぎあわせは、70-80年代を経過した後、近年ふたたびつよくなっているかのようにおもえるが……。

映像はビ・バップのテンポとリズムにノってゆく。冒頭、タイトルとかさなってくるのは《ソルト・ピーナッツ》。男性のナレーションは、どこかヒップホップをおもわせる声質とイントネーションを持っている。つながってくるのは、アフリカ・バンバータ《プラネット・ロック》。映画では、あとのほうでも、パーカー/ガレスピー《ホット・ハウス》があるかとおもえば、マイルス・デイヴィス《オール・ブルース》があり、ラヴェル《ボレロ》がながれる。ほかにも多数。あとで適当に音楽をかさねた、のかもしれないけれども、ここにはバスキアが耳にしていた音楽がある。そうしたものが選択されている。

27歳で亡くなった、プエルトリコ系とハイチ系双方の移民の子としてブルックリンで生まれ育ったジャン=ミシェル・バスキアは、まだ、アーティストとしてさかんに活動している真っ最中、「セレブ」として扱われている時期であっても、じゅうぶんにかわいさをのこしている。せいぜい、大学生や大学院生の年齢なのだから、当然といえば、当然。いまの若いひとにとっても共感がもてるだろう。

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ジャン=ミシェル・バスキア(1960-1988)

ニューヨーク州ブルックリンの中流家庭に生まれた。公認会計士の父ジェラルドはハイチ出身。母マチルダはプエルトリコ出身。17歳の時に友人とインチキ宗教を生業とする、架空のキャラクター〈SAMO〉を創り出し、ダウンタウンで〈SAMO〉の署名入りの詩的な落書きをして知られるようになる。その後、ハイスクールを中退、家を出てその日暮らし。バンド<グレイ>の活動を経て、大規模なグループ展「タイムズ・スクエア・ショウ」に参加。アンディ・ウォーホールに認められ、瞬く間にスターの座にのぼりつめ、絶大な人気と不滅の栄誉を確実なものとする。薬物の過剰摂取により死亡、享年27歳。

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