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映画『ブラック・スワン』と 映画『ダンシング・チャップリン』

カテゴリ : Exotic Grammar

掲載: 2011年04月20日 20:36

更新: 2011年04月20日 21:09

ソース: intoxicate vol.91 (2011年4月20日発行)

text:住吉智恵

この文章を書いている震災の2週間後。被災地の状況に思いをはせ、原発事故の余波に怯えるざわついた心境で、なぜいまバレエ映画を紹介するのか? その理由を掲げるため、まずはミュージカル『コーラスライン』の一場面を思い出してみたい。

ブロードウェイの舞台でメインキャストの後ろで踊るコーラスラインのオーディションに集まったダンサーたちが、代わる代わる自分の平凡な人生を語る不朽の名作である。さえない家庭環境で育った3人の女性ダンサーが、絶望的な日常を一時でも忘れるため、耽美的で非日常的なバレエの世界を夢見た少女時代を切々と歌う《At The Ballet》(バレエではすべてが美しい)は、屈指の歌唱力と演技力が求められる名場面だ。したたかな踊り手から1人の女性に戻った彼女たちが瞳を輝かせてそれぞれの思い出を語り、空想のイメージを体現するかのように、背後では他のダンサーが男女組みになってパ・ドゥ・ドゥを踊る。

観るたびにこの場面が胸を熱くするのは、誰もがもつ共通体験である〈現実からの逸脱願望〉が、芸術やスポーツに没頭するモチベーションの1つだからだろう。ぐらぐらと揺らぐ価値基準に翻弄され、無力感で自分の足もとさえ覚束ないとき、宗教や精神世界へ向かう人もいるだろう。しかし一方で音楽やダンス、演劇といった身体表現の芸術には、張りつめた感覚を解きほぐし、躍動させる力が宿ることを忘れることはできない。

さらに言えば、ある意味〈浮世離れ〉したクラシックバレエには、バロック以来の歴史のなかで築いてきた孤高の世界観がある。20世紀にヨーロッパ大陸で起こった2度の大戦も、モダニズムの洗礼も、その根幹を揺るがすことのなかったバレエの様式美は、約束事に縛られている分、ブレることのない絶対的な美の基準に支えられている。ここで紹介する2本の映画は、バレエの絶対的な美意識により〈破壊されていく〉ダンサーと〈成熟してきた〉ダンサーの物語である。

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