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ジャン=リュック・ゴダール 、 フランソワ・トリュフォー、グラウベル・ローシャ

『60年代は楽しかったに違いない』と僕にギターを習いに来ている、ある20代前半の生徒は言う。〈60年代に生きてみたかった〉彼らはホドロフスキー監督の『エル・トポ』や寺山修司の映画は観ている。音楽はレディオヘッドやマイ・ブラッディ・バレンタイン等が入口になっていたが、その後は60年代のサイケデリック、ブラジルのトロピカリア、ブリティッシュ・トラッド、アシッド・フォークと名付けられている音楽を聴いている。そのような人間が世界のどこにもいるから、60年代の雰囲気を受け継いだ新しい音楽や映画は常に作られ続けられている。ただ昔は、それが社会を変えて行く重要なものとして考えられていた。ヨーロッパの芸術はかつて全て宗教から始まった。キリスト教に人々が疑問を持ち始めると、アジア、アフリカや第三世界に目が向くようになり、東洋の神秘思想からヨガまで欧米で流行り、世界に広まったのは最初キリスト教に変わる新しい信念を求める勢いからだった。日本では明治時代の西洋文化との出会いのショックと第二次大戦を作った軍国主義に神道の神秘思想を入れてしまったために、西洋的な宗教や神秘思想の憧れがなかなか見えづらくなっている。

今、ゴダールやトリュフォーが50年代に何をやろうとしていたかを再確認するのは重要な事だ。僕はこのドキュメント『二人のヌーヴェルヴァーグ、ゴダールとトリュフォー』を観てそう思った。この映画は二人の当時の重要なインタヴューや名場面を分かりやすく編集してあり、彼らの生い立ちから1968年の5月革命までの彼らのやってきた事や考え方を見せて行く。今回紹介する、このドキュメントとグラウベル・ローシャの映画を観る事はひよっとすると人生を変える事に繋がるかもしれない。ゴダールやトリュフォーの初期の映画を見ると、まずその楽しさが伝わって来る。彼らは、本当に楽しんでいる。勿論それだけではない。彼らは当時のフランス映画界がどうしょうもない古臭い方法論にこびりついていて、それを自分達の手で変えて行こうという戦いの宣言をしていた。自分の生きている時代に物足りなさを感じる、だからこそ新しいものを作らなければいけないと思う。それが常に新しい芸術を作って行く。60年代の表面的な楽しさの影には、苦しさと作らなければいけない、世界を変えよう、という使命のようなものが感じられる。彼らにとって映画は、過去の世代にとっての宗教のような役割を持っていた。ゴダールとトリュフォーは、68年のパリの5月革命の時に二人の関係にひびが入った。映画が人々に与えるべきと考えるものが違って来た。ゴダールはマルクス・レーニン思想、そして毛沢東思想に影響を受ける。

映画『ふたりのヌーヴェルヴァーグ ゴダールとトリュフォー』

初期の頃の映画を観ると、やった事のない事をやってみている楽しさが伝わってくる。セリフを書かずに、その設定だけを決めて、即興的に作って行く。ゴダールは編集の天才と言われていた人なので、それを彼が後でまとめて一つの作品にしてしまう。そういう方法は役者にとっても思いがけなかった表現が自然に出てくる。60年代のサイケデリック・ロックもブラジルのトロピカリアも現代音楽の実験音楽もこれと似ている方法で音楽を作って行った。文学ではバローズもカットアップ手法という言葉を新聞から切り抜き、思いがけなかった表現を作ったりしていた。しかし、68年頃からは始め楽しかったやり方を理論的にシリアスにまとめようとしてくる。その時、二人の違いが出てきた。

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カテゴリ : Exotic Grammar

掲載: 2011年07月11日 12:33

更新: 2011年07月19日 17:48

ソース: intoxicate vol.92 (2011年6月20日発行)

text:Ayuo

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