坂本龍一
〈3.11〉の震災後、どこからか耳にはいってくるメロディがあった。よく知っているのだが、このごろ、しばらく、遠ざかっていたようにおもえるメロディ。
《上を向いて歩こう》と《見上げてごらん空の星を》。
サントリーのCFで、何人もの俳優や歌手がつぎつぎに切り替わり、スタジオでマイクを前にうたう姿が映像としてつなげられていた。わたしは、だが、TVの画面でじかにみたことはない。放送を視聴する習慣がないからだ。なので、音は階下から聞こえてきて気になっていたものの、映像はネットで検索して、であった。
この2つ、わたし自身はごく小さいころの曲だ。リアルタイムで耳にはいってもいるだろう。けれども、そのころは〈カヴァー〉という言い方もなく、ヒットしたものはいろいろなひとが歌ったし、長いスパンでながれたので、子どものときにはつねにあった、との記憶がある。
《上を向いて歩こう》は作詞・永六輔、作曲・中村八大、《見上げてごらん空の星を》は作詞・永六輔、作曲・いずみたく。共通しているのは、どちらも1963年、作詞が永六輔、歌ったのは坂本九。そして、どちらも顔をふつうより〈上〉げる。下げるのではなく、上げる、ということ。
そうか、この2曲なのか──というのは、いい曲だから、こうしたものをこの列島の人たちは自分(たち)のものとして持っている、そのことの良さである。だが一方、ちょっと違ったところでは、1963年からじき半世紀経つにもかかわらず、これらの曲より自分たちのものとしてあたためられる曲が持てていないのだろうか、というおもいもないわけではない。わたし自身は心身に染みついている。スタンダード・ナンバーとしてよく聴いてきた。多くの若いひとは、どうなのだろう。
若い人たちにとって、これらにちゃんと代わるものがあるのか、ないのか。いや、なくたっていい。これらがあればいいじゃないか。……ともいえるのだけれども、さて、どうなのか。
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カテゴリ : Exotic Grammar
掲載: 2011年08月12日 17:24
更新: 2011年08月18日 13:27
ソース: intoxicate vol.92 (2011年6月20日発行)
text:小沼純一(音楽・文芸批評家/早稲田大学教授)