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フェスティバル/トーキョー(2)

9月16日から11月13日まで、フェスティバル/トーキョーと名付けられた舞台芸術祭が開催される。東京を中心にさまざまな場所で行われるそれは、舞台芸術といっても屋内だけではなく野外劇まであって、東京という「都市の中に拡散する形で展開する」(ディレクターのコメントより)。つまり舞台芸術の前提である人間の身体が都市の中に浸透してそこに新たな「舞台」を浮かび上がらせる、そんな試みと言えるように思う。映画が次第に人間の身体を失いはじめ、しかしそれとともに奇妙だが決して忘れられない身体性を生み出しつつもある今、舞台芸術もまた、ひとつの中心的な身体性を希薄化しつつ新たな身体性とその運動の場所を作り出そうとしているのだろうか。

国内外から集められた団体による30演目が一体どんな姿を見せてくれるのか、今この時点ではわからない。しかしその中でふたつの演目の記録を見ることができたのだが、それらが共に、身体をあるフィルターを通して見る構成になっていたのが気になった。ひとつは今世紀にはいって以来世界各国で上演されてきた『ザ・ショー・マスト・ゴー・オン』。フランスのジェローム・ベルによるこのダンス作品は、このタイトルにピンときた人もいるかもしれないが、クイーンが歌ったこのタイトル曲をはじめビートルズ、デヴィッド・ボウイ、セリーヌ・ディオンなどの誰もが知るポピュラーソングを流しながら、舞台上のダンサーたちがそのとき流れる曲に反応するように踊りだし、そしてさらにダンサーたちの反応に併せて新たな曲が流れはじめるという構成。ダンサーたちはいわゆるプロではなく公募で集められた普通の人々である。したがってそこには、鍛えられた身体もそれが作り出す流れるような動きもなく、そのとき流れる音楽が作り出す懐かしい時間や個人的な思い出へと遡る夢想の時を、それらのダンスがかき乱し、しかしそのことによって目の前の現実と夢想とが混乱しながら繋がれていく。ダンサーたちの身体は何かを表現する主体ではなく、あくまでもそれを見る・聴く私たちの夢想と現実との間にあって不器用にそれらを繋ぎ繋がれる媒介であり、しかしそのことによって思わぬ現実感をそこにもたらすのである。

カテゴリ : Exotic Grammar

掲載: 2011年10月18日 19:27

ソース: intoxicate vol.93(2011年8月20日発行)

text:樋口泰人(boid)

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