Tigran Hamasyan
魔境に生まれるジャズの寓話
紋切り型の出だしで始めるなら、アルメニア出身のティグラン・ハマシアンは、「今、最も期待が集まる注目のピアニストのひとり」ということになる。これに、ここ数年のジャズ界において最も〈効く〉印籠として使用頻度が滅法高い『セロニアス・モンク・コンペティション』の1等賞を2006年に受賞、と付け加えておけば敏いジャズファンはそれだけで耳をそばだててくれるはずだが、ついでに言っておくと、この賞の価値は、2等賞にジェラルド・クレイトン、3等賞にアーロン・パークスがいたという事実を知るとより増すかもしれない。近年のジャズ界を騒がせる俊英を押しのけての1位。このときティグランは10代だった。5年前のことゆえ仕方ないといえばそうなのだが、ただ、それを差し引いても、受賞に関するティグランの態度は意外にも冷淡なものだった。
「業界やミュージシャンのサークル内での認知は確かに上がったけど、すぐにレコード契約ができたわけでもなかったしね。コンペティションが始まった当初は受賞者は契約できるっていう決まりだったんだけど、最近はちょっと変わってきちゃったんだ」
そもそも、この賞を引き合いに出すことによってティグランを、あらかじめ〈ジャズ・ミュージシャン〉と決めつけてしまっていいのかという点からして、すでに問題があるとも言える。過去4枚リリースされているアルバムのうち、ファーストはかろうじて編成・サウンドがジャズと呼べなくもない仕上がりになっているとはいえ、アルメニアのメロディを前面に打ち出し変拍子を駆使したプログレッシブな楽曲は、保守的なジャズファンにしてみればすでにジャズの枠を大きく逸脱して聴こえることだろう。そうした特性を歪んだギターサウンドで増幅し、限りなくヘビメタに近いアプローチで提示したAratta Rebirth名義の3作目となると、もはやなぜジャズフロアで売っているのかさえわからなくなってくる。名門Verveからの初のメジャー作品となる『A Fable』にしたって、ソロ・ジャズピアノ集を装ってはいるけれど、内実はだいぶ違う。ティグラン本人のヴォーカルが突然出てきてメロディを口ずさんだりするから、〈普通のジャズ〉だと思って聴いていたこっちは大分面食らうことになる。ディズニーの名曲《いつか王子さまが》のメルヘンもティグランの手にかかると暗くねじれた怪異譚だ。いきおい本人を前にして「自分のことジャズ・ミュージシャンだと思ってます?」という質問が口をついて出ることとなる。するとこうだ。
「思ってないすね」
即答である。
「じゃあ、何なんですか?」
「うーん。そうだなあ。ピカソは自分の作品を自分で〈キュビズム〉って呼んだわけじゃないよね。アーティストってのは自分のやっていることを自分で名付けたりはしないんだよ。誰か他人が後から名づけてくれればそれでいいんだけど」
それはそうなんでしょうけど。 というわけで、便利なレッテルを与えてくれないこの早熟の天才について、一から語り起こさねばならなくなる。
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カテゴリ : Exotic Grammar
掲載: 2011年11月21日 20:29
ソース: intoxicate vol.94(2011年10月10日発行)
interview&text:若林恵