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東京の夏、現代音楽の夏(2)

なぜ大正時代にオペラが似合ったのか。日本人は能や文楽や歌舞伎で音楽劇には古くから親しんでいる。しかし時代が変わった。大正前半の第一次世界大戦特需による好景気のおかげで富裕なブルジョワジーが増えた。日本の市民生活もいよいよハイカラになった。明治以来の「文明開化」がすっかり根づいてきた。西洋クラシック音楽の裾野も一部特殊の教養層からより広く大衆へ大衆へと拡大されていった。とはいえ、いきなり交響曲やピアノソナタというわけにはゆかない。器楽の音だけをどう鑑賞したらいいかという作法教養まではまだまだ身についていない。しかしドラマならだいじょうぶだ。歌舞伎や新派劇みたいに筋書きがある。芝居がある。歌もある。オーケストラもついている。そんな西洋風音楽劇のオペラやオペレッタこそが日本人には最も入りやすい西洋クラシック音楽、それこそが大正文化の華というわけでした。

当たり前ですが、オペラやオペレッタを観たがる人々には必ず洋風趣味がある。洋風趣味なら飲む酒も日本酒よりも洋酒である確率が高い。クラシック音楽ファンは顕在的もしくは潜在的な洋酒ファンは多分に重なるだろう。オペラファンは洋酒ファンになりうるし、洋酒ファンはオペラファンになりうる。よって寿屋がオペラ団を持つのは最高の宣伝である。洋酒とオペラをブレンドすることで新しい新たな何かを求めてやまない近代都市大衆にひとつのライフスタイルというか生活規範を提案することができる。それが寿屋ことサントリーの思想でした。経営者、鳥井信治郎はのちに次のように述懐しています。「葡萄酒もウイスキーも異国のもので、日本人に好かれるためには酒の持つ色香や味、コクもさることながら、異国情緒といった雰囲気も強調しなければなりません。また、女性に好かれることです。赤玉やウイスキーもオペラやオペレッタと同様に外国から伝えられたもので、性質において一脈通じると思ったのです」。

赤玉楽劇団の心棒になったのは、作詞も作曲も演出もなんでもござれの佐々紅華です。「君恋し」や「茶目子の一日」の作曲者と言えば分かってくださる方もあるでしょう。歌手には杉寛や松島栄美子が居ました。杉は帝国劇場で育てられたオペラ歌手で、のちに古川緑波の一座に参加して喜劇の舞台を踏み、東宝や新東宝の映画、さらにはテレビドラマにも多く出ました。黒澤明監督の映画「七人の侍」では茶店の亭主を演じています。松島栄美子は広告の歴史に興味のある人なら必ず姿を観ている人です。日本初の美人ヌード広告と言われる、1922年の赤玉ポートワインのポスターのモデルを務めている女性なのです。

赤玉楽劇団の旗揚げ公演は東京の有楽座で。続いて大阪の中央公会堂、中国地方、九州各地、神戸、京都、名古屋、東北と長期巡業を続けました。「浅草オペラ」という都会の最新の息吹を日本の隅々にまで伝えようというわけです。演目は佐々紅華作曲の「卒塔婆小町」など。宣伝効果は絶大でした。しかしやはり1923年の関東大震災が大きかったのでしょう。赤玉楽劇座は約1年で解散に至りました。しかしこの経験は社の歴史に長く語り継がれてゆくことになります。サントリーはクラシック音楽と相性がよい。相性がよくなくては洋酒メーカーじゃない。そういう気質の土台というか起源神話みたいなものが、赤玉楽劇団の物語によって出来上がったのです。

でも、これだけでは話がうまくない。洋酒とクラシック。その関係は分かりやすい。でも赤玉楽劇座は大正のオペラ・ブームに乗ったものでした。オペレッタは西洋クラシック音楽の一種には違いないけれど、赤玉楽劇団はやはり大正時代の流行のど真ん中を狙ったものです。クラシック音楽として当時いちばん目立って集客できるものをやった。ところが戦後のサントリー、特に1970年代以後のサントリーの音楽事業は、先に述べたようにもっとずっと日陰のところに大きな力を注いでいる。もちろんサントリーホールを建てるなんてことでは華々しい王道も行っていますが、日本の作曲家とか現代音楽となるとだいぶん様子が違ってきます。赤玉楽劇団の佐々紅華も日本オペラの作曲家ではありますが、大正の佐々は今で言ったらポピュラーのどんな人気作曲家にも負けないくらいの売れ線です。クラシック音楽の中のさらなるマイノリティに肩入れするとなると、赤玉楽劇団のレベルから何歩か踏み込まなくてはいけない。サントリーになぜそれができたのか。しかもそんな報いの過少な路線を民間企業が踏み外さずに何十年も守ってこられたのか。

カテゴリ : BLACK OR WHITE

掲載: 2012年06月20日 16:40

ソース: intoxicate vol.97(2012年4月20日発行号)

文/片山杜秀

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