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東京の夏、現代音楽の夏(3)

理由はいろいろ考えられますが、ひとつ忘れてはならないのはサントリー創業者の思想です。鳥井信治郎は「陰徳陽報」という四文字熟語にこだわり、それは息子の佐治敬三へと、さらに次代へと受け継がれて今日に至っています。その思想を徹底するとクラシック音楽にこだわるのでも、日向ではなく、より日陰へ、ということになるのです。

「陰徳陽報」とは何のことでしょうか。出典は中国の古典「淮南子」です。西暦紀元前2世紀頃、漢の時代に成立しました。「老子」や「荘子」といった道家の影響を受けながら、そこに「論語」や「孟子」の儒家の考え方も交えて出来上がった書物です。「人間万事塞翁が馬」というよく知られたことわざも「淮南子」が出典。「陰徳陽報」についてはこう述べられています「聖王徳を布き恵みを施すは、その報いを百姓に求むるに非ざるなり。山はその高きを致して雲起こり、水はその深きを致して蛟龍生じ、君子はその道を致して福禄帰す。それ陰徳有る者は必ず陽報あり。陰行有る者は必ず昭名有り」。

いかにも道家的な態度でしょう。要するに、効果を計算し尽くし、結果を正確に予測し、ある見返りを着実に求めて、無駄なく完全に物事を遂行するのは不可能だと言っている。こうすれば目立つとか得になるとか今の売れ線は何だなんてことに拘泥しても意味がないのです。立派な王は見返りを考えて政治をしない。山は高くそびえていれば自ずと雲が生じる。いつどのように雲を生じさせようとか山をもっと高くしようとか考えても仕方ない。山は雲に、雲は山に見返りを求めてはいない。期待も依頼も強制もしていない。山があれば時に応じて雲も育つ。ただそれだけのことである。一般人もそういう態度で生きろ。求めずにやれ。これみよがしな目的をたててやるな。そうしたら求めなくても求めるものは来るかもしれない。陰徳とは見返りを求めず声高に叫ばないで徳を施すことなのです。地道に淡々と目立たないことをやって、徳を積んでいれば、自ずと結果はついてくるものだ。それが天然自然の摂理だ。人間の知恵ごときで原因も結果も律しきれるものではない。陰徳と陰行に徹する者に自ずと恵みは降ってくる。これが「陰徳陽報」でしょう。

「陰徳陽報」を突き詰めてゆけば、同じクラシック音楽を援助するのでも、人気のあって目立つところよりもそうでないところにこだわってゆくのが道理ではないでしょうか。サントリーは絵に描いたようにその道を歩んだ。企業が文化芸術に援助するとなったら、幾らもっともらしいことを言っても、やっぱり即時的な見返りを抜きにはしにくい。そんなものに金を注ぎ込んでも無駄じゃないか。そういうことになる。しかしサントリーには「陰徳陽報」という印籠がある。即時的な見返りのなさそうなものでも「陰徳」だと言えばそれで済む。もちろん実際の企業内ではそんな単純な話ではないでしょうが、とにかく「陰徳陽報」が社是でなければ、音楽文化全体の中でマイノリティに属するクラシック音楽の、そのまたマイノリティに長年、お金は注ぎ込めません。

それから、もうひとつ大切な視点があります。サントリーの歴史は赤玉ポートワインから始まったと既にふれました。ヨーロッパのワインを輸入して、それを加工し味を工夫し日本人向けに直して売り物にしたのでした。そのあとサントリーは国産ウイスキーの夢を追い求めました。山崎を拠点にして、本場に負けない、しかも日本の風土からしか生まれようのない、日本人の口に合った、この国のウイスキーを作ろうとしてきた。大正、昭和、平成と試行錯誤を重ねた。ハイボールを流行させるとか、この国の日常にウイスキーを違和感なく持ち込むための工夫も尽くしてきた。西洋文化の伝統の根幹にある洋酒を取り込んで日本化する。日本人に広く受け入れてもらう。海外にも日本の洋酒を発信する。

本格的ウイスキーを日本人が作れるわけがないと西洋人にばかにされる。何くそと思う。ワインやウイスキーを日本で幾ら作ろうとしても輸入物の方がいいじゃないかと日本人からもばかにされる。この野郎と思う。

誰かに似ていませんか。日本人なのに西洋クラシック音楽をやっている人たちとそっくりではありませんか。どうせ本場のようには演奏できないと言われる。日本人がピアノ曲やオーケストラ曲を作っても仕方ないと言われる。内からも外からもたたかれやすい。それでも歯を食いしばってがんばってきた。日本のクラシック音楽家の姿でしょう。

特にサントリーは日本ならではの洋酒を創造しようとしてきたのですから、やはり同じ創造者に共感するのです。日本人ならではの西洋音楽を作ろうとする作曲家に心情移入してくれる。サントリーが日本作曲界に「陰徳」を積んできてくれた所以です。

カテゴリ : BLACK OR WHITE

掲載: 2012年06月20日 16:40

ソース: intoxicate vol.97(2012年4月20日発行号)

文/片山杜秀

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