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東京の夏、現代音楽の夏(4)

祝!サマーフェスティバル25周年

戦後のサントリーと西洋クラシック音楽との関わりはどんなものだったでしょうか。長いあいだ基軸になったのはTBSラジオの「百万人の音楽」というクラシック番組です。戦後6年目にしてようやく占領軍が民放の開局を認めました。TBSラジオは東京で最初の民放AMラジオ放送局として1951年暮れに放送を開始しました。そのときの目玉番組がひとつが「百万人の音楽」でした。ホールを借りて内外の演奏家にリサイタルをやって貰う。ピアノの安川加壽子などが頻繁に出演しました。お客さんは番組を通じて公募で招待する。そのリサイタルの録音を毎週放送してゆく。そんな形式で長寿番組になりました。サントリー(当時はまだ寿屋でしたが)の一社提供。この番組が一時の休止期をはさんで1960年代後半に再スタートします。番組名は同じですがスタジオでのトーク中心に衣替え。ホストは放送タレントとしても人気が沸騰していた作曲家、芥川也寸志。ホステスはアナウンサー出身の若手女優、野際陽子。

「百万人の音楽」はサントリーとしては民放開始以来の大切なスポンサー番組です。洋酒とクラシックをつなぎ、サントリーの企業イメージを定める金看板です。でも時代は番組に逆風でした。「百万人の音楽」はAM。しかし1960年代末にはついに高音質のFMラジオが本放送をはじめようとしていた。クラシック音楽番組なんてFMでやればいい。AMには向いていない。そんな声がやかましくなってきました。しかし伝統ある番組なのです。そう簡単にやめられるものか。盛り上げたい。それをひとつのきっかけとしてサントリーが日本のクラシック音楽家に大きな賞を出すことにしました。

洋酒とクラシックを対にする。イメージの相乗効果を狙う。大正時代からのサントリーの戦略です。「百万人の音楽」を抜きにしても音楽賞はできたかもしれません。けれどタイミングとしては番組と連動するものではあった。受賞者が「百万人の音楽」にゲスト出演する。話題作りになります。

賞は鳥井音楽賞と呼ばれました。のちにサントリー音楽賞と名を改めます。賞を運営するために財団も新設されました。鳥井音楽財団です。のちにサントリー音楽財団となり、それがサントリー美術館と組織統合されて今日のサントリー芸術財団が出来ました。鳥井音楽財団の事務所はTBSに置かれました。「百万人の音楽」の関係者が財団事務局を兼ねたのです。審査員は芥川也寸志、その他。1969年度の第1回受賞者は小林道夫でした。ドイツ・リートのピアノ伴奏やバロック音楽での合唱指導、通奏低音演奏を評価されての受賞です。メインのソリストではなく伴奏者にスポットを当てるなんてことは少なくとも日本のクラシック音楽界ではそれまではないことでした。日本人のバロック音楽演奏が評価されることもまだまだない時期でした。そこにサントリーの音楽賞は凄まじい新風を吹き込んだのです。みんな驚きました。こういう評価の仕方があったのか!


カテゴリ : BLACK OR WHITE

掲載: 2012年06月20日 16:40

ソース: intoxicate vol.97(2012年4月20日発行号)

文/片山杜秀

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