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東京の夏、現代音楽の夏(5)

音楽財団ははじめのうちは音楽賞のことばかりやっていました。しかし「百万人の音楽」の司会者にして財団の知恵袋、芥川也寸志の進言もあって、事業は拡大してゆきました。1981年からは毎年1回の「作曲家の個展」が始まりました。日本人のひとりの作曲家のオーケストラ作品だけで一晩を埋める試みです。滅多にないことでした。第1回は松平頼則、第2回は黛敏郎、第3回は山田耕筰。2011年秋の三輪眞弘で第31回です。

「作曲家の個展」ってなんだか絵の展覧会みたいなネーミングでしょう。これが芥川の狙い目でした。彼は日本の作曲家にもっと注目が集まるようにしたかったのです。展覧会では絵が主役。画家に注目が集まる。でも演奏会というと演奏家が主役のように思われがちではないでしょうか。「作曲家の個展」と名付ければ「演奏会」ではなく「個展」なのですから、主役は演奏家よりも作品なんだと素人にも分かる。日本現代音楽協会が1960年代から「現代の音楽展」という催しをはじめていましたが、その命名も芥川でした。日本人の作る西洋音楽をもっと聴いてくれ! 芥川の叫びでした。そこにサントリーの「日本人の作る洋酒をもっと呑んでくれ!」という叫びが当然ながら共鳴した。よりはっきり言えばサントリーの総帥、佐治敬三が、芥川に信をおいた。芥川はさらに佐治に東京初のクラシック音楽専用大ホールの建設を進言し、1986年秋のサントリーホール開場へとつながります。サントリーホールの柿落としのサヴァリッシュ指揮によるNHK交響楽団演奏会の1曲目、すなわち同ホールでの公式のコンサートで初めて鳴り響いたのが、芥川也寸志の新作、オルガンとオーケストラのための「響」であったのは故のあることだったのです。

サマーフェスティバルは開場の翌年の1987年から始まりました。といってもごく初めの時期はその後と中身の性格は違っていました。都会のクラシック音楽ホールは8月には空きがちになります。やっぱり夏休み。交響楽団の定期演奏会とかもありません。外国のオペラやオーケストラが来日することも普通はあまりないでしょう。ホールはいわゆる夏枯れです。そこを埋めるために夏にふさわしく家族でも初心者でも来やすい間口広めの気楽な音楽祭をやろう。それが最初のサマーフェスティバルだったでしょう。第1回の曲目にもオリヴァー・ナッセンの「かいじゅうたちのいるところ」や伊福部昭の「SF交響ファンタジー」が含まれていました。現代音楽や日本の作曲家の作品もあったのです。今村能指揮の新日本フィルの演奏はたいへん立派でした。もう四半世紀前なのですが昨日のことのように思い出します。近くに座っていた知らない子供の顔まで覚えています。そう、あくまで子供向きのコンサートだったのです。

それからたちまちサマーフェスティバルはいかにもサントリーの催しらしく変化してゆきました。普通のクラシックから「陰徳」を積む方へ、マジョリティ向けよりもマイノリティ向けへ、本格的な現代音楽祭の方向へと突進していったのです。

サントリー音楽財団創設20周年に当たった1989年の3回目のフェスティバルが転機だったでしょう。そのとき音楽祭は近現代音楽の歴史的名作をまとめて回顧しようという画期的な場となりました。翌1990年の4回目には主にヨーロッパのオーケストラのための近作を紹介する「海外の潮流」なる新企画が増えました。1991年の5回目からは、あくまでサマーフェスティバルとは別企画ながら日程は連動して開催される芥川作曲賞選考演奏会も加わりました。

日本の作曲家の仕事、そして広く近現代音楽に「陰徳」を積んでくれる方向へとサントリーを導き続けた芥川也寸志は、1989年1月、昭和天皇の後を追うように平成になって半月で逝ってしまいました。その業績を記念して文学の芥川賞に匹敵する現代音楽の芥川賞を作ろうと設けられたのが芥川作曲賞です。

カテゴリ : BLACK OR WHITE

掲載: 2012年06月20日 16:40

ソース: intoxicate vol.97(2012年4月20日発行号)

文/片山杜秀

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