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特集

The Records of Gustav Leonhardt/グスタフ・レオンハルトのレコード

カテゴリ : BLACK OR WHITE

掲載: 2012年07月24日 14:58

ソース: intoxicate vol.98(2012年6月20日発行号)

文・渡邊順生(チェンバロ・フォルテピアノ奏者)

私は、自他共に認める映画狂で、特に好きなのは1930~40年代のアメリカ映画。なぜなら、映画を駄目にしたのは赤狩りとテレビだと信じているからである。その私が気に入っている映画の1つに、『素晴らしき哉、人生』というのがある。1946年、フランク・キャプラの監督による白黒のファンタジック・コメディで、主演のジェームズ・ステュアートは、人が好すぎて損ばかりしている事業家ジョージという役どころ。ジョージは、年老いた伯父の凡ミスで大金を失ってしまい、破産の危機に瀕する。破産したら監獄行きは免れない。誰一人助けてくれる人もなく、窮地に立った彼は自分を呪い、自殺しようと考える。その時天国から派遣されたお爺さんの天使が、天上のヨゼフと図って、ジョージが生まれて来なかった世界を彼の眼前に現出させて見せる。彼に救われなかったために子供の時に死んでしまった弟。心痛の余り上の空になり、ジョージに誤りを指摘されなかったために間違って劇薬を処方し、得意先の子供を殺してしまった薬屋。ジョージと出会えなかったために結婚することなく齢を重ねた彼の妻。そして、彼にささやかな幸福のチャンスを提供される機会の無かった大勢の人々……。ジョージが、人生の価値を再発見したとき、とんでもない幸運の嵐が彼の上に降り注ぐ……。だから、この映画にはこんな題が付いているのである。

実は、この1月、レオンハルトの訃報に接したとき、私はこの映画を思い出した。そして、もし、レオンハルトがいなかったら、この世界はどのようになっていただろうか、と考えたのである。

もしレオンハルトがいなかったなら、アーノンクールやブリュッヘン、ビルスマ、クイケン兄弟など古楽の同志や仲間たちの演奏活動は随分違ったものとなっただろう。彼の周囲に参集した若い古楽奏者たちは、もし彼という中心がなかったら、何処に集まったのだろうか。オランダは古楽復興の世界的な中心地となっただろうか。
チェンバロを取り巻く状況はどのようになっていただろうか。彼が演奏活動を始めた1950年代の前半には、「チェンバロ」と言えば「モダン・チェンバロ」を意味した。「モダン・チェンバロ」とは、ピアノのように堅牢な構造体にチェンバロの弦をはじくアクションを組み込んだ楽器で、今日広く用いられている「歴史的チェンバロ」とはおよそ似て非なる楽器であり、チェンバロと言うよりは「チェンバロ化されたピアノ」を呼んだ方がふさわしいものであった。今日では、当時を知る多くのチェンバロ製作家やチェンバロ奏者が「怪物」とか「モンスター・マシン」などと呼んで、モダン・チェンバロに対しては否定的な評価を下しているが、歴史的チェンバロの魅力を世界中に伝えたのは、1960年代のレオンハルトのレコードであった。かく言う私も、その音色に魅せられて彼のレコードを買い漁った1人である。

私たちのような彼の弟子たちは、もし彼の演奏に出会うことがなかったら、いまだにモダン・チェンバロを弾いていたのだろうか。歴史的チェンバロの奏法は、彼の弟子たちによって世界中に広がったのである。アラン・カーティス、アンネケ・アウテンボッシュ、クリストファー・ホグウッド、ジョン・ギボンズ、鍋島元子、トン・コープマン、ボプ・ファン・アスペレン、シェティル・ハウグサン、ロバート・ヒル、グレン・ウィルスン、スキップ・センペ、ピエール・アンタイ、リチャード・エガー、ケネス・ワイス……。そして孫弟子たち、アンドレアス・シュタイアー、クリストフ・ルセ、鈴木雅明、アリーン・ジルベライシュ……。実際に習ったことはないが、大きな影響を受けたことを公言しているトレヴァー・ピノックのような人たちを加えると、その人数は果てしなく膨らんで行く。

レオンハルトが不世出の名演奏家であったことには議論の余地がないが、「創始者」という面に着目しただけで、もし彼がいなかったら今日の古楽の世界は成立していなかったのではないかという感を強く抱かせる。その意味で、彼が、20世紀後半から今日にかけてのクラシック音楽界において、最も大きな影響力を持った音楽家の一人であったことが実感されるのである。

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