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特集

The Records of Gustav Leonhardt/グスタフ・レオンハルトのレコード(2)

レオンハルトのキャリアの始まり

レオンハルトは、1928年5月30日、オランダの富裕な実業家の家庭に生まれた。母方はオーストリアの貴族で、とても厳しくしつけられたそうだ。彼のノーブルな風貌とエレガントな立ち居振る舞い、感情を表に出さない静かな物言いなどは、こうした生い立ちに多くを負っているに違いない。幼少よりピアノとチェロを学ぶ。オランダ人には珍しい「グスタフ」というドイツ風の名前は、父親がマーラーの熱狂的なファンだったからだという話を聞いたことがある。もし本当だとすると、彼の後年の音楽的な関心や趣味からは最もかけ離れた作曲家の名前を貰ったことになる。しかし、父親はバッハやバロック音楽に対する関心も強く、レオンハルトがまだ少年の頃、チェンバロを購入した。ドイツのモダン・チェンバロの代表的メーカーであるノイペルト社の製品であった。ドイツ軍の占領下、外出も出来ないという不自由な生活が1年半も続いたときも、レオンハルト少年は夢中になってバッハの作品をチェンバロで弾いていたという。

終戦後まもなくスイスのバーゼル・スコラ・カントールムでチェンバロとオルガンを学び、その後、指揮の勉強のために訪れたウィーンで、後に盟友となるチェロ奏者のニコラウス・アーノンクールと出会った。若冠21歳で、バッハの《フーガの技法》がチェンバロのための作品であったことを証明する論文を発表し、この大曲を弾いてウィーンでデビュー。1952年から55年までウィーンでチェンバロを教えたが、その後はアムステルダムを拠点に、古楽器による弦楽合奏団レオンハルト・バロック・アンサンブル(後に「レオンハルト・コンソート」と改称)を結成、様々な編成によるバロック期の声楽・器楽合奏を精力的に手がけるようになる。彼は通常、チェンバロまたはオルガンで通奏低音のパートを弾きながら指揮に当たったが、必要に応じて自らチェロやヴィオラ・ダ・ガンバのパートを受け持った。また、多忙な演奏活動の傍ら、後進の指導にも精力的に取り組んだ。

米ヴァンガード・レコードとアルフレッド・デラーとの共演

レオンハルトの活動に最初の熱い眼差しを向けたのは、1950年に設立されたアメリカのレコード会社、ヴァンガードであった。この会社を立ち上げたのはセイモアとメイナードのソロモン兄弟だが、特にメイナード・ソロモンは音楽学者として有名で、わが国でも彼の代表的な著作であるモーツァルトとベートーヴェンの評伝が翻訳されている。彼は、ベートーヴェンの不滅の恋人の正体を突き止めたり、最晩年のモーツァルトの活動の意義について大胆な新解釈を発表するなど、センセーショナルな研究で注目された人だが、兄と共にヴァンガード・レコードを設立したのは若冠20歳の時であった。レオンハルトに注目したのは兄のセイモアの方。彼が始めた「バッハ・ギルド」というシリーズの中で、レオンハルトが《ゴルトベルク変奏曲》と《フーガの技法》という、バッハの晩年の大曲を続けざまに録音したのは1953年だが、今聴いてもとても25歳とは思えぬほど風格のある演奏だ(但し、これらの曲を楽しんで聴くには、後年の遙かに優れた録音があるので、今となってはお薦めは出来ない)。

ソロモン兄弟は、イギリスの声楽家でカウンター・テナーの中興の祖、アルフレッド・デラー(1912-79)に注目し、デラーのレコードを次々に製作した。「男の歌手が裏声で歌う」などということが想像も出来なかった時代である。これを「先見の明」を言わずして何と言おうか。その美声に、その素晴らしい音楽性に、世界は絶句し、驚倒し、酔いしれた。その後も、彼を凌ぐほどの歌手は現れていない。

デラーの活動は、イギリス民謡からルネッサンスのマドリガル、ダウランドのリュート・ソングやシェイクスピア劇の挿入歌、中世フランスの宗教音楽やクリスマス・キャロル、クープランの《ルソン・ド・テネブル》、モンテヴェルディの劇音楽やマドリガーレ、パーセル…、そしてヘンデル…、そしてバッハ…と、とどまるところを知らない。デラーこそは、戦後の古楽の復興において圧倒的な影響力を誇った最初の「星」、否、「太陽」の如き存在であった。

数年前から復刻された「アルフレッド・デラー、ザ・コンプリート・ヴァンガード・レコーディングス」と名付けられたシリーズはCD36枚に及ぶ。元のLPレコードの枚数は、その1.5倍は下らなかったであろう。その中には、レオンハルトやアーノンクールと共演したものが多数含まれている。レオンハルトとデラーの共演したレコードの中には、バッハのアルト・ソロのカンタータBWV170や《ロ短調ミサ曲》の「アニュス・デイ」などもある。

この時期のレオンハルトの活動の詳細については、私はよく知らないし、デラーと共演したもの以外には、現在市場で入手できるものはほとんどない。しかし、デラーとの共演がこの時期のレオンハルトの演奏活動の中で最も重要なものであったことは間違いない。

カテゴリ : BLACK OR WHITE

掲載: 2012年07月24日 14:58

ソース: intoxicate vol.98(2012年6月20日発行号)

文・渡邊順生(チェンバロ・フォルテピアノ奏者)

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