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カエターノ・ヴェローゾ生誕70年──1968年のブラジルのトロピカリアと今(3)

カエターノの最初のアルバムはガル・コスタとのジョイント・アルバムだった。このアルバムの最初の2曲はボサノヴァの名曲としてブラジルの曲集で取り上げられる曲になっている。カエターノにとってボサノヴァは、後にニュー・ウエーヴやパンクがそうだったように、革命的ムーブメントだった。彼は語っている。「ジョアン・ジルベルトを初めて1959年に聴いた時に自分の中で何かが起きた。新しい世界に入る入り口となった。音楽だけではなく、文学、哲学、シネマ、全ての文化に対しての考え方が新しくなった。これはブラジルという国が出来てから、最も大きな文化的な出来事だった」。

僕らの世代がボサノヴァを初めて聴いた時は、もうスタンダードとなっていた。ホテルのロビーに流れているムード・ミュージックであって、それを革命的な文化の始まりと見る人は少なかった。これは最近の出来事に例えると、プログレ、サイケやグラム等がこのようになってしまったようなものだ。昼頃にマクドナルドに行くと、ルー・リードの『ベルリン』の曲をムード・ミュージックに編曲した音楽が流れている。《キャロラインが覚せい剤を飲むと、皆が笑って彼女に聞く、何考えているのだろう?》や《ホリーは足の毛をそって男から女になった》等の歌詞の曲をバックに楽しそうに、幼稚園や小学生の子供達がお母さんと一緒にハンバーガーを食べている。当時、これらの曲が、最初聴かれた60年代からは時間が立ち、スタンダードになり、もはやインパクトも感じなくなっている。ピンク・フロイドを最初に見た70年代初期では革新的な音楽とされていたが、今のプログレ・コンサートは、老人ホームと似ていると書かれている。いつまでたっても過去を捨てられない人達の集まる保守派の会と見られるようになった。最も前衛的な考えをしていた人は、その半世紀後には、最も保守的な考えとされるようになるとよく言われるが、いつまでもとどまっていると、このようになる。

カエターノの発言を読んでから、僕はボサノヴァの再発見をした。曲はフランク・シナトラを始め、色々なアレンジで知っていたが、ジョアン・ジルベルトの50年代の録音を聴いて、その革新さをまず理解したかった。ジョビンのアレンジのその時代での新しさが分かった。曲の多くは一分で終わってしまい、現代音楽のアントン・ウエーベルンのように音数を少なくしたものだった。歌詞も雰囲気もクールだった。コード進行はアルバン・ベルクのように半音階的で複雑だった。これは確かにこの時代を代表する新しい音楽だった。

1950年代の後半にカエターノはフェリーニの映画『道』をみて、初恋をして、クラリッシ・リスペクトルを読み、そして「何よりもジョアン・ジルベルトを聴いた」と語っている。

映画『トロピカリア』(2012)

1968年になると、カエターノとジルベルト・ジルを中心としたトロピカリアの集団には、他にガル・コスタ、トン・ゼー(作曲家)、トルカート・ネト(作詩家)、ロジェリオ・ドゥプラート(指揮者)等がいた。作詩家でジャーナリストのネルソン・モッタは新聞の連載コラムでトロピカズモ宣言を発表した。それには次の事が書いてあった。

「われわれの音楽の発展の立ち遅れと、すでにナショナリストたちが指摘しているような差別によって、ブラジルは他国に原材料だけを提供し、他国がそれを使って商品化するという状態に甘んじてきた。そういう状態に終始点を打ったのはボサノヴァだった。トロピカリズモは、出来るだけさまざまな要素を総合する試みである。この運動は〈ソン・ウニヴェーサール〉ともいう。世界の音楽の最新の成果(ビートルズやジミ・ヘンドリックスも含めて)をも取り入れているからだ。しかし、外国の音楽だけではなく、ショーロやノエル・ホーザや田舎の民謡をまた受け継いでいる」。

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カテゴリ : BLACK OR WHITE

掲載: 2012年10月02日 17:35

ソース: intoxicate vol.99(2012年8月20日発行号)

文・AYUO

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