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カエターノ・ヴェローゾ生誕70年──1968年のブラジルのトロピカリアと今(4)

しかし、1968年の彼の最初のソロ・アルバム『アレグリア・アレグリア』ではイメージ・チェンジをした。60年代のサイケ風のジャケットで、その音楽的影響が響き渡るアルバムとなった。そして、ガル・コスタもロック・シンガーとしてアプローチをしたアルバムを同じ時期に発表した。当時のアメリカのジェファーソン・エアプレインの『アフター・べイジング・アット・バクスター』やベルベット・アンダーグラウンド ウイズ・ニコ等も表面的には思い出すが、内容は少し違っていた。中身はブラジルのボサノヴァ等のポピュラー音楽の伝統の上にコンクレート・ポエム等の前衛文学や前衛美術やローシャのシネマ・ノーヴァの影響が入ったものだった。ポピュラー音楽のジャンルから出てきたが、前衛と実験芸術の精神を持ったものだった。最初のソロ・アルバムよりもカエターノの『ホワイト・アルバム』の方がロックと前衛の方向性がはっきりと見えてきた。カエターノの考え方は、反米の学生運動を続ける左翼の活動家とは、別の考えをしていたが、彼らを批判してはいなかった。しかし、それでも、ブラジルの軍事体制はカエターノとジルベルト・ジルを牢屋に入れた。

カエターノが本当に音楽家として成長したのは、彼が2ヶ月間牢屋で過ごし、4ヶ月間ハウス・アレスト状態にされた後に、イギリスで亡命生活を送った後だった。ロンドンでギターの弾き語りをしている彼の目つきは寂しそうだった。ワイト島のロック・フェスにも出演したが、イギリス人は彼を仲間にしなかった。イギリス人にとって、彼はラテン・アメリカから来た外人だった。彼の目つきを見ると、異国でフラフラしている人の目つきになっていた。東京でフラフラ生活を送っていた十代の自分も、このように見えたに違いないとも思った。

彼もこう語っている「イギリスに行ってから本格的音楽家になった。それまでは、映画監督になる事を目指していた」。イギリスで録音したアルバム『イン・ロンドン』で歌うブラジル北東部の歌《アサ・ブランカ(白い翼)》を聴いてみよう。何気なく歌っているが、そこには今までの彼のCDよりも歌で人を感動させる力が強く出てきている。
カエターノはインタヴューで次のように語っている。

「イギリスに行くまでは、音楽は2番目に興味あるものだった。自分にはミュージシャンとしてやっていくほどの才能はないと思っていた。映画監督になりたかった。でも亡命生活を無理矢理過ごしてしまったら、映画監督になれる程の大きなステップを踏む勇気を失ってしまった。僕は落ち込んでいた。自分で生きていくだけで精一杯だった」。

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カテゴリ : BLACK OR WHITE

掲載: 2012年10月02日 17:35

ソース: intoxicate vol.99(2012年8月20日発行号)

文・AYUO

インタビュー