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グレン・グールド──生誕80年/没後30年

「グールドの演奏は、ただ鍵盤上の名人技という範疇を越えて特筆に値した。彼の手にかかると、どの曲もまるでエックス線で照射したように透過されてみえた。曲の構成要素どうしが癒着することなく、くっきりと鮮明に造影される。それによって、さまざまなおもしろい派生部分に満ちた美しい流麗な流れが生まれる。なにもかもが考え抜かれていながら、うっとうしい画策や労苦のあとがいっさい感じられないように響く。しかもグールドが脳裡に思い描き、実行に移すことは、左右ひと組の手で流暢になされる範囲にかぎられていたわけではなかった。コンサートで演奏することをやめたのちはあまたの録音、テレビ番組の制作、ラジオ放送番組などを手がけており、鍵盤を離れても多才であることが証明されている。」

『サイード音楽評論』(二木麻里訳・みすず書房)が刊行された。待望の翻訳である。原著は1巻だが翻訳は2巻本。ゆったりとした組みで読みやすい。概ねコンサート/オペラの公演に接して記されたものだが、いくつか音楽家について書かれた本に言及するものがあり、すこし抽象的なテーマを扱ったものがある。驚きなのは、全部で45の文章(1つは補遺)のうち5つがグレン・グールドに関係するものなのである。いやそれだけではない。グールドの名はときどき、ふ、っとほかのところにもあらわれてくる。冒頭に引いた文章も「奏でられたものの追想──ピアノ芸術の現存性と記憶」のなかのものだ。エドワード・サイードは『音楽のエラボレーション』でもこの音楽家に言及していたけれども、こうしていくつもの文章に散見できるのをみると、グールドがどれほどこの批評家・研究者に深く、そして広く影響をおよぼしているかがよくわかる。

今年2012年、グレン・グールドの名があらためてクローズアップされてきている。ドビュッシーやディリアスの生誕150年とかケージ生誕100年/没後20年とか何かとクローズアップされるものが多かったので、グールドのことを失念してしまっていたのだったが、1932年に生まれ1982年に50歳で没しているから、たしかに「生誕80年、没後30年」のアニヴァーサリー・イヤーにあたっているのだ。

グレン・グールドは何年かごとに回帰してくる。そしてそのたびに何らかの新しい演奏なり映像なりが加わってくる。だからついつい気にせずにはいられない。

今回のラインナップでは、すでにCDとして『スクリャービン&シベリウス』が、『リヒャルト・シュトラウス』が、DVD『グレン・グールド・プレイズ・バッハ』がリリースされている。

リマスターや世界初発売と銘打たれているものがいくつかあって、たとえば「スクリャービン&シベリウス」におけるリミッックスについては、演奏はもちろんのこと、CD-ROMでグールドが作品と録音について語っていたり、楽譜と音とがリミックス・フェーダーで追えるようになっていたりするのはかなりおもしろい。また、「リヒャルト・シュトラウス」ではシュヴァルツコップと共演した未発売の歌曲が3つほどあるが、それ以上に《ピアノと管弦楽のためのブルレスケ》をひとりで練習しているプライヴェート録音がある。これは必聴である。気にしないで聴いているといきなり音質が悪くなりざらざらとした音、もあもあとしたピアノに驚くのだが、それ以上にオーケストラ・パートを朗々と(?)うたい、自分の声によるオーケストラと、指によるピアノが共演するさまは、おもしろいをとおりこして空恐ろしささえ感じさせる驚きがある。15分以上の独演会。そして正規のオーケストラとの共演がつづくという具合。

カテゴリ : BLACK OR WHITE

掲載: 2012年12月10日 19:47

ソース: intoxicate vol.101(2012年12月10日発行号)

文・小沼純一(音楽・文芸批評家/早稲田大学教授)

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