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特集

テオ・アンゲロプロスと ロマン・ガヴラス(2)

国家的破産か、それとも超緊縮財政下での国民生活の逼迫か……との強迫じみた選択を突きつけられる現在のギリシャは、未来への展望をもてないがゆえに「悲劇的」である。この展望のなさと(未来に向けた)政治的行動の萎縮といった問題に関連して、マウリッツィオ・ラッツァラートの議論を参照しよう。現代資本主義を支えるのは、従来の「経済的人間(ホモ・エコノミクス)」ではなく「負債人間(ホモ・デビトル)」のモデルである。僕らは「負債」を背負って生まれ、クレジット(金融)抜きの人生など想像することも難しい。そして「金融とは、行動の時間を統制し『生きた現在』『不確実なものを伝達する可塑的ゾーン』『過去と未来の通過地点』といったものを無力化する恐るべき道具である。金融は、可能的なものを未来に投射しながら、それを既成の枠組みの中に封じ込める。金融にとって未来は、現在の支配と搾取を先取りしたものにすぎない。……負債の論理が、われわれの行動の可能性を窒息させようとしているのだ」(『〈借金人間〉製造工場』)。現代のグローバル資本主義における金融は、単なる経済的権力ではなく、僕らの行動と未来を呪縛する時間の権力である。僕らは借金を返すために、あるいはさらなる借金をするために働く。ギリシャとそこに暮らす国民の危機は僕らの危機でもあるだろう。しかし、それだけが本当に僕らの未来なのか。

アンゲロプロス(1935年生まれ)と同世代のギリシャ出身の著名な映画作家にコスタ・カヴラス(33年生まれ)がいて、2人はパリの映画高等学院で学んだ経歴をも共有している。もっとも、ヌーヴェル・ヴァーグ誕生前夜にむしろ保守派に位置づけられるべきイブ・アングレやアンリ・ヴェルヌイユらの助監督を経て監督となったカヴラスに対し、アンゲロプロスはゴダールの『勝手にしやがれ』にぶっ飛んだ経験から大学卒業後にパリに渡り、映画高等学院で放校処分を受けた後に混沌とした祖国で映画作りに着手した。カヴラスの代表作で「政治的商業映画」とも称される『Z』(69)『告白』(70)『戒厳令』(72)の三部作は、パンクのattitudeを決定的に欠いているように僕には思える。ほぼ同時期に撮られたアンゲロプロスによる三部作は、むしろガヴラスに代表される政治的商業映画を刷新し解体する企てだったのだ。今やシネマテーク・フランセーズの理事長に収まるガヴラスには2人のやはり映像に関わる子供たちがいて、僕らはむしろ彼らの「子供の心」に賭けてみる誘惑に駆られる。ここでは、ポップな政治映画『ぜんぶ、フィデルのせい』で注目された娘のジュリーではなく、長編劇映画の監督作はまだ一本だけだが、政治色の強いPVを連発する息子のロマン・ガヴラスを紹介しよう。

たとえば、Jay-Z&Kanye Westによる《No church in the wild》のPV。靄に包まれた市街で燃え上がる火炎瓶のアップによって群衆と機動隊の戦いの火蓋が切られる。背景などは明らかでないが、ショーウインドウも破壊の標的となることから、WTO体制打破やウォ-ルストリート占拠などの反資本主義的な若い世代の反乱が想起される。機動隊から吹き付けられる大量の水が冒頭からの炎と相俟って物質的な創造力を喚起し、ギリシャ=ローマ風の像が要所で挿入される点などに作家の出自が重ね合わされる。

romain gavras(ロマン・ガヴラス)
映画監督、映像作家。1981年ギリシャ・アテネ生まれ。父親は『Z』『戒厳令』『告白』等で知られるギリシャ出身の映画監督、コスタ・ガヴラス。姉のジュリー・ガヴラスも『ぜんぶ、フィデルのせい』(2006年)でデヴューした映画監督。2010年公開の映画『Notre jour viendra』(日本未公開)、仏のエレクトロ・デュオ、JusticeのUSツアーのドキュメンタリー『A Cross The Universe』のほか、Kanye West&Jay-Zや M.I.A.《Born Free》《Bad Girls》のPVも手掛ける。

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カテゴリ : Exotic Grammer

掲載: 2013年02月15日 18:51

ソース: intoxicate vol.101(2012年12月10日発行号)

text:北小路隆志

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