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大島渚―「罵り合い」の「論理」と「ポエジー」(3)

『愛のコリーダ 2000』は、依然としてボカシが残るなど「完全ノーカット版」とは見なし難いものだったが、それでもおよそ四半世紀の歳月を経て、ようやく『愛のコリーダ』を見ることができた、との感慨は得ることができた。確かホテルオークラだったと記憶するホテルの一室へ、僕ははやる気持ちと緊張の入り混じった心境で向かったはずだ。1996年2月、大島はロンドンで脳出血に襲われる。愛すべきフランス映画『マックス、モン・アムール』(1987年)から約10年ぶりとなる新作の製作発表が1月下旬に行われた矢先の出来事だった。結局、最後の監督作品となった『御法度』は3年後の1999年に公開され、僕のインタヴューはそこから一年後ということになる。第一印象からして、明らかに以前にテレビで活躍していた時期のエネルギッシュな雰囲気から程遠い状態であった。倒れてからは言語障害を克服するためのリハビリが続けられたと聞くが、やはりスラスラと言葉が出てくる状態にない。確か45分だけ許された時間のなかで、インタヴュアーである僕が35分ほど話し、大島が10分だけ話すといった割合だったはずだ。僕が彼の映画についての意見や疑問を並べ、大島があまり口を挟むことなく、それに耳を傾ける……。こうしてインタヴューは口頭試問めいた様相を帯びる。大島が聞き手をいたぶる(?)様子のはっきり伝わるインタヴューも読んだことがあり、これはマズイな……と話しながら少し焦ったのも事実だが、途中でやめるわけにいかない。僕は寡黙な大島に対し、懸命に言葉を投げかけ続けた。できるだけ相手の言葉を引き出すことがインタヴューの基本であり、それが成否を決めるとするなら、僕の大島へのインタヴューは無惨な失敗だったといっていい。だが、口頭試問については、合格とはいえないまでも不合格とはされなかったようだ。彼は短くコメントを挟む程度で異論を唱えなかった。単に話す気がなかったのかもしれないが……。

しかし、大島渚へのインタヴューで僕が受けた驚きの核心は、その先にあるのだ。大島が話した時間は実質的に10分ほどであったはずだ、と先に僕は書いたが、しかし、その10分が凄まじいのである。大島は10分という時間で必要なすべてを語り尽くしたのだ。かつてのように長い演説めいた口上で圧倒するわけではない。ただ簡潔に、しかも強くてキャッチーな言葉を発する。君の欲しい言葉はこれだろう……と言わんばかりに。結果的にインタヴューは成功し、大島渚は勝利する。口数の多さや押しの強さで勝利する方法もあるだろうが、もはやそれが難しいとなれば、短い時間で簡潔に、しかし有無を言わさぬ決定的な言葉を二言三言も吐けばいい。勝利は彼のものとなる。僕は感嘆を禁じえなかった。これまでも彼はこうして戦ってきたのだ。

以上は、ただの一度の口頭試問めいたインタヴュー(対話?)から導かれた大島渚という人物への僕の個人的な印象にすぎず、もちろん、人物像の仔細については生前の彼をよく知る人々の証言を参照してほしい。ただ、僕なりの印象を拡張し、彼の映画を理解し、楽しむためのヒントへと転用することもできると思う。

初期から中期にかけての大島作品は饒舌である。しかも、硬質的な言葉、政治的、思想的な言葉、あるいは観念的な言葉がこれでもかとばかりに噴出する。とりわけ『日本の夜と霧』(1960年)や『絞死刑』(1968年)、『東京戦争戦後秘話』(1970年)……。最初にそれらの映画を見たとき、僕はいささか辟易とさせられた、と正直に告白しておこう。こんなに口数が多い必然性があるのか。なぜ、そこまで語り尽くさねばならないのか……と。僕が危惧するのは、これから大島渚を発見しようとする若い世代の観客が、そんな僕の感慨を共有してしまうことだ。大島作品における言葉の応酬=対話とは何か? たとえば、結果的に松竹での最後の作品となった『日本の夜と霧』は、日米安全保障条約改定を巡る闘争がピークに達した1960年6月15日の出来事の記憶も生々しいなかで撮影され、その出来事を介して戦後日本の反権力闘争を総括する映画であり、複数の世代の学生活動家が集まり、延々と激しい議論を戦わせる。権力に対して武装闘争は許されるのか? 平和共存路線が望ましいのか? 共産党に忠実であることが運動組織の中心である条件なのか? 共産党もまた権力にすぎないのではないか? そうした権力をも一掃した新たな運動のかたちは可能なのか? 最後の選択肢は津川雅彦演じる全学連の指導者に託され、大島の共感も比較的、彼へと傾くかのようだが、それも唯一の正しい解答ではない。つまり議論はいかなる結論にも到達しないまま宙を漂う。『日本の夜と霧』に関わるかたちで大島が後に語った言葉を引用しよう。一般的な理解を覆すかのように、同作を「ディスカッション形式とは思わない」と断じた上で、彼は以下の言葉を続ける(『大島渚 1960』)。

「ディスカッション形式の映画というのは、ディスカッションすることによって、真実が明らかにされていく。弁証法というものがあるとすれば、二つの異なる意見がぶつかって、さらに高いひとつの発見があるという、そういうのがディスカッション映画だと思うんだけど。ぼくはいま、ディスカッション好きの人間だと思われてるかもしれないけども、じつはディスカッションは大嫌いなんです。というより、人間というのは、世の中の人が思っているように、ディスカッションによって意見を変えたり、ひとつ高い次元が発見されたりするものではないのであって、ようするに罵り合いだと思うんだよね」

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掲載: 2013年03月07日 20:50

ソース: intoxicate vol.102(2013年2月20日発行号)

文・北小路隆志

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