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大島渚―「罵り合い」の「論理」と「ポエジー」(5)

僕は何本かの大島作品を敬遠した。だが、彼の映画がもたらす観念性は、登場人物らが叫び訴える言葉や歌の意味をそのまま受け取る僕らの誤った態度にほぼ由来するのではないか。そうではなく、言葉に意味がなく、対話の前提となる「真実」もない……それが大島の立場であるとすれば、彼の映画の観念性は反観念性であり、彼の映画で流れるイデオロギー的な言説はイデオロギーへの批判のために繰り広げられるのだろう。戦後民主主義的な言説を批判するためには、まずそれを反吐が出るほど聞かねばならない。あるいは、『東京戦争戦後秘話』における当時の先端的な(?)映画+政治狂いの高校生らのおしゃべりの羅列もまた、むろん、一定の共感も含めてのこととはいえ、結局のところ、彼らの愚かさを際立たせるばかりであり、その“愚かさ”への大島の屈折した共感だけがうかがい知れるのだ。言葉を批判するための言葉。歌を批判するための歌。であるとすれば、大島渚の映画は、「(戦後)日本映画」を批判するための「(戦後)日本映画」ではなかったか。

「そのものをスバッと生身で提出することが映画なんであって、それを説明するために映画をつくるんじゃないんだよ。そのものを見せたいというのが映画をつくらせるんであって、そのものを説明したいという欲望で映画をつくっちゃいけないんです。解説をしようとは思わない。(……)わけがわからないけども、気にかかってしようがないと。そういうものとして提出しつづけること」(『大島渚 1968』)

「登場人物がしゃべってる意見は、それをぼくが全面的に信じてるわけじゃなくて、それを撮ってる監督の批評は、キャメラの動きにあるんじゃないかと思います。少なくとも内面を説明してはいけない。ところが、たいていの映画は内面を説明するためのみにあるわけ。ぼくの映画は、内面を説明しないで、しかしこの人間には内面があるんだぞと、それがアクションになる。行動になる。そのことを映画はそのまま写す」(『大島渚 1960』)

大島は、ひとつの意味や真実へと到達するものとしての言葉を批判したのであって、言葉それ自体を否定したのではない。だから、彼は夥しい数の刺激的な文章を残した。彼は既存の日本映画を批判したが、もちろんその批判は何よりも彼の手による「日本映画」において実践されたのだ。だから彼は批判=批評を拒まない。それどころか、批判=批評を切望するのである。先に引用した二つの発言から、彼が自作への技術的側面からの批評を求めていたことがうかがえる。大島の映画はあまりにも思想や観念に基づき解釈されすぎてきた。むろん、彼自身にも責任の一端があるにしても、僕らは大島作品を形作る映画ならではの「論理」を分析せねばならない。大島渚を直情型の怒れる存在と見なす態度にも注意が必要だ。むしろ彼を「論理」の人であったと見なすべきかもしれない。あるいは、彼の言葉を借りれば、「とことん論理で考えた」末、「論理で考えきれなくなったところに」零れ落ちる「詩、ポエジー」こそ、彼の映画であったといってもいい。そうした意味で、大島のフィルモグラフィーは、「論理で構築された映画」と、その論理が放棄された廃墟の上に、それでもなお再構築される「別の論理」を貫く作品群で成立している。

「ぼくが文章を書くときは、確信犯の部分で書くから、みんながひっかきまわされた。そこまでぼくを分析できる批評家がいなかったんで、みんなどっかに引きずられて、どちらかといえば、ぼくが確信犯として映画を組織していくために書いた文章、あるいはぼくのリードに、みんながひっかかっちゃったところはあるでしょうね。これはぼく、あるいはぼくの作品を支持しようとした人もひっかかったし、それに反発した人もひっかかった、ということはいえるだろうと思うな。そういうことに関してきちんと書いてくれる批評家はいなかったから、どうしてもぼくが、ミスリードであるということはわかりながら、ミスリードをしなければならなかったという側面がある」(『大島渚 1960』)

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掲載: 2013年03月07日 20:50

ソース: intoxicate vol.102(2013年2月20日発行号)

文・北小路隆志(5)

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