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SO I'WILL BE ON MY WAY...――さまざまなバンドで腕を磨いた青春時代を駆け足でおさらい

 

エリック・クラプトンは63年1月、後にマンフレッド・マン入りするトム・マギネスと結成したルースターズを皮切りにバンド活動をスタート。ケイシー・ジョーンズ&ジ・エンジニアーズを経て、63年暮れにヤードバーズ入りし、プロとして本格的な一歩を踏み出す。キレの良いギター+グッド・ルッキングで、たちまちキース・レルフ(ヴォーカル)と人気を二分する存在に。64年10月には、渡英したシカゴのブルースマン、サニー・ボーイ・ウィリアムソンのバックを付け、『Sonny Boy Williamson And The Yardbirds』をレコーディング(発表は66年)。65年には『Five Live Yardbirds』をリリースするも、ブルースの〈純粋主義者〉だったクラプトンはシングル“For Your Love”が商業主義的すぎると脱退。すかさずジョン・メイオールがブルースブレイカーズに引き入れる。

念願叶い、コテコテにブルースを演奏する日々。有名な〈クラプトン・イズ・ゴッド〉の落書きも生まれるが、メイオールの専制君主的なスタンスへの反発もあり、名盤の誉れ高い『Bluesbreakers With Eric Clapton』を置き土産に、66年7月に脱退する。それに先立って66年3月にはコンピ『What's Shakin'』用に、スティーヴ・ウィンウッド、ジャック・ブルースらとのパワー・ハウスでブルースを3曲ほど録音するも、ブルースブレイカーズ脱退後はジャック・ブルース、ジンジャー・ベイカーとクリームを始動。当初はブルースをベースにしつつ、リフの効いたヘヴィー・ロックなど徐々に曲調は多彩になり、ライヴでの長尺即興演奏もウリにして、ジミ・ヘンドリックスなどと共に新しいロックの象徴的な存在となっていった。そして“Sunshine Of Your Love”“White Room”、クラプトンの代名詞となる“Crossroads”などを吹き込み、4枚のアルバム――『Fresh Cream』(66年)、『Disraeli Gears』(67年)、『Wheels Of Fire』(68年)、『Goodbye』(69年)——をリリース。しかし、人間関係の悪化から69年1月に解散する(『Goodbye』の発表は解散後)。

続いて、同時期にトラフィックを離れたスティーヴ・ウィンウッドとブラインド・フェイスを結成。名曲“Presence Of The Lord”も誕生したが、2人が背負った看板の大きさも邪魔になり、唯一のアルバムとなる『Blind Faith』を残してわずか7か月ほどで分裂。ブラインド・フェイスの全米ツアー中に出会ったデラニー&ボニーの、US南部的な音楽性とバンドの在り方に憧れたクラプトンは、そのまま彼らの一員に加わり、70年に『On Tour With Eric Clapton』を発表している。そしてその後、デラニーの協力のもと、ソロ・デビューを果たすのだった。

 

▼関連盤を紹介。

左上から、66年にリリースされたサニー・ボーイ・ウィリアムソンとヤードバーズのコラボ盤『Sonny Boy Williamson And The Yardbirds』(Fontana/Repertoire)ヤードバーズの65年作『Five Live Yardbirds』(Columbia/Repertoire)、ジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズの66年作『Bluesbreakers With Eric Clapton』(Decca)、クリームの67年作『Disraeli Gears』、同68年作『Wheels Of Fire』、ブラインド・フェイスの69年作『Blind Faith』(すべてPolydor)

 

カテゴリ : ピープルツリー

掲載: 2013年04月23日 17:50

更新: 2013年04月23日 17:50

ソース: bounce 353号(2013年3月25日発行)

文/小出 斉

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