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特集

Claudio Abbado――類ない「Horizontal Maestro」

カテゴリ : BLACK OR WHITE

掲載: 2013年09月09日 18:00

更新: 2013年09月09日 18:00

ソース: intoxicate vol.105(2013年8月20日発行号)

文・池田卓夫(音楽ジャーナリスト)



祝!生誕80年
そして、本邦デビュー40周年

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©Kasskara

イタリアの指揮者、クラウディオ・アバドは今年6月26日で80歳になった。「首席指揮者」の肩書でウィーン・フィルハーモニー管弦楽団と日本を訪れ、初めて指揮したのは1973年。「本邦デビュー40周年」とも重なる。今年10月には相思相愛の名人オーケストラ、ルツェルン祝祭管弦楽団と7年ぶりに来日、シューベルト(第8番)&ブルックナー(第9番)の2つの「未完成」交響曲、ラドゥ・ルプーとの「ピアノ協奏曲第3番」&「交響曲第3番『英雄』」のベートーヴェンと、2つの曲目を演奏する。「英雄」は40年前の3月20日、東京文化会館のウィーン・フィル日本公演初日に指揮、「未完成」も同ツアーでとり上げた。

ルツェルン・フェスティバルのアーティスティック・ディレクター、ミヒャエル・へフリガーは父(テノール歌手の故エルンスト・ヘフリガー)の代からの知日家だ。2011年3月11日、東日本大震災の記憶は「我々に多くの傷跡を残した」といい、日本と長年の友好関係にある同フェスティバルとして「震災の影響を受けた地域と人々のために、自分たちが提供できるものによって何らかの形で、復興を支援したい」との思いで「アーク・ノヴァ(新しい方舟を意味する造語)松島2013」のプロジェクトを立ち上げた。

今年9月27日から10月13日にかけて、建築家の磯崎新とインド出身の英国人彫刻家アニッシュ・カプーアが共同で完成した空気膜構造の可動式コンサートホール「アーク・ノヴァ」(500人収容)を被災地で日本三景の一つ、宮城県松島町にしつらえ、東北と世界をつなぐ音楽の祭典を開く。ベネズエラの指揮者グスターボ・ドゥダメルのワークショップ、後輩指揮者グスターボ・ヒメノと仙台フィルハーモニー管弦楽団の共演、被災地の子どもたちで結成した東北ユースオーケストラと坂本龍一、大友良英のコラボレーション、坂田藤十郎の歌舞伎など、方舟は洋の東西を超えた豪華コンテンツで満載。その頂点は間違いなく10月12日、アバド指揮ルツェルン祝祭管弦楽団の演奏会によって築かれるだろう。

アバドはミラノの名門音楽一家の出身にもかかわらず、いや、それだけに芸術家の社会的使命を自覚し、政治的立場を鮮明にすることも辞さなかった。頭角を現した1960年代後半から70年代初頭にかけて世界で学生運動の嵐が吹き荒れ、第2次世界大戦後しだいに保守化していったオトナ社会の価値観を根底から揺さぶった。イタリアでも貴族出身のエンリコ・ベルリングェル書記長率いる共産党が勢力を伸ばし、ジョルジュ・マルシェ書記長のフランス共産党とともに「ユーロ・コミュニズム」を開花させた。アバドもベルリングェルに共鳴したのだろう。盟友のピアニスト、マウリツィオ・ポリーニとともに工場労働者のために無料演奏会を開き、「マオイスト(毛沢東主義者)」呼ばわりされたこともあった。

2000年に患った胃癌を奇跡的に克服したとはいえ相変わらずの激やせ、しかも80歳の高齢をおしてなお松島を訪れる意思の背景には一本、信念の筋が通っている。筆者が「普通の指揮者とは違うな」と最初に思ったのは1984年。首席客演指揮者を務めていたシカゴ交響楽団とベルリオーズの「幻想交響曲」を前年にドイツ・グラモフォンへ録音した際、第5楽章に広島市の平和記念公園にある「平和の鐘」の音を採用したと知った時だった。当時、新聞社の広島支局に勤務していたので早速、東京のポリドール(現ユニバーサルミュージック)に照会し、アバドのコメントも間接的にとった。「数ある鐘の音のうち、これが一番気に入っただけ」「古い録音でテンポも音程も違うため、デジタル技術で修正した」と素っ気なかったが、記事が掲載されると地元紙が1面で追いかけ、広島市民は大いに感動した。

あと一度。2003年に高松宮記念世界文化賞を受賞した後の記者会見で、アバドの「気骨」を実感した。「世界中の異文化に触れたなか、日本文化の豊かさも過去30年存分に吸収し、自分自身が豊かになれた」と述べた後に突然、「多様性を容認しない人間は、政治家になれない」と言いだし、居合わせたイタリア・メディアの特派員たちが一斉に身を乗り出した。そして「メディアの8割を1つの資本が独占し、その経営者が首相を兼ねる我が国(イタリア)は明らかに欧州憲法を冒している。民主制には程遠い、と言わざるを得ない」と、シルヴィオ・ベルルスコーニ首相を名指しで批判した。会見に居合わせたフィアットの総帥、ウンベルト・アニエリ会長(当時)や中曽根康弘元首相ら同賞の顧問たちはみな渋い顔だったが、語気は鋭さを増すばかり。会見後の懇親会でも、批判の手綱を緩めなかった。

高潔な生き方ではイタリアの大先輩、アルトゥーロ・トスカニーニに重なるかもしれない。トスカニーニは1929年、ベニート・ムッソリーニ首相がスカラ座を政治的に利用する気配を察した途端に20年から続けてきた総監督を辞任。31年にはファシスト政権が続く限り、イタリアでは指揮しないと決めた。38年にオーストリアがナチス・ドイツとの併合に動いていると知ると、ザルツブルク音楽祭での指揮をキャンセル。ファシストやナチスの迫害を受けた音楽家をルツェルンに集め、湖畔のワーグナー邸前でガラ・コンサートを開いた。これがルツェルン音楽祭の始まり。トスカニーニからアバドへの太い線がつながった。

だが垂直(ヴァーティカル)方向、つまり上から下への指示で合奏を引き締めた厳格主義者(リゴリスト)のトスカニーニと、年齢の上下にかかわらず多くの音楽家から「クラウディオ」とファーストネームで呼ばれ、水平(ホリゾンタル)方向の人間関係で自然に音楽を引き出すアバドとでは、指揮者としてのあり方が180度ちがう。ここからはトスカニーニを筆頭に他のマエストロたちとのライバル関係をいくつか、無理を承知の上で設定しつつ、アバドの音楽の独自性を解き明かしていこうと思う。



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