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ルー・リード 追悼の言葉

カテゴリ : Exotic Grammar

掲載: 2014年01月14日 10:00

ソース: intoxicate vol.107(2013年12月10日発行号)

text : AYUO



ルー・リード 追悼の言葉

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©Yuichi Hibi

ルー・リードは、20世紀後半を代表する芸術家の一人だった。彼が音楽界に与えた影響はビートルズや、現代音楽の世界でのピエール・ブーレーズくらい大きかったかもしれない。

彼の魅力は、僕にとってはまず、言葉を語り歌う詩人・ヴォーカリストとしてだった。ルー・リードは、歌の発声練習をしてきた人ではなかった。デヴィッド・ボウイの方が、歌手のとしての歌ははるかに上手いと、皆は感じるだろう。しかし、詩の内容を感じさせる歌の語り方がある。僕はそれをまず、ルー・リードから学んだと思う。こうした歌い方をしながら、歌手としての発声練習を続ければ、これほど強いものは中々ないだろう。デヴィッド・ボウイやU2のボノは、ルー・リードの歌からの影響をポップスの伝統的な歌い方の中に包んだ。

ルー・リード以前に、『ヘロイン』、『毛皮のヴィーナス』等の歌詞をポップ・ソングとして書く人はいなかった。ルー・リードの曲は、聴く人々に大きな刺激を与えた。現実を見つめて、考えさせた。

彼の最愛の妻でミュージシャンのローリー・アンダーソンはルー・リードについて、ルーの歌はダイレクトで刺激的だが、とても美しく真実を表現していると語っている。

彼が一般的に知られるようになったのは70年代の前半だった。デヴィッド・ボウイが最も影響受けたミュージシャンの一人として紹介し、アルバムをプロデュースした。グラム・ロックが流行っている時代だった。ルーが60年代に、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドと共にウォーホルの周辺で作っていた言葉と音楽は、本当のアートだったが、70年代のファッションの流行りに乗る事によって、彼は世界的に知られるようになった。言葉だけではなく、イメージやスタイルから入る人もいると、彼は気が付いていた。

彼は普通の人と少し違う感じがする。話し方も、感情の出し方も少し違う。実は彼が10代後半の頃に、彼の両親は彼を精神病院で電気ショック療法のプログラムに入れてしまった。彼の両親が彼がゲイになるのではないかと心配していた。その頃、ホモセクシュアルは病気と見る人がまだ多かったのだ。彼はその時に受けた精神的なダメージを一生抱えていた。『Sally Can't Dance』というアルバムに収録されている《Kill Your Sons》とはこの事を歌った曲だった。そして、彼の表現の仕方にも影響を与えてしまった。

彼は英文学と哲学をニューヨーク州のシラキュース大学で勉強をしていた時に、大きな影響を受けた教授、詩人のデルモア・シュワルツと出会った。デルモア・シュワルツは普通の文学の教授とは違っていた。人生をめちゃくちゃに生きていた20世紀の本物の詩人だった。デルモア・シュワルツはニューヨークのストリートの言葉を使いながら、それを文学にした。教授としては、20世紀文学のジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』を読む言葉としてではなく、音楽として言葉を聴かせるという教え方をした。こうした考え方はルーの歌の作り方大きな影響を与えた。彼は優等生として英文学科を卒業した。



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