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Before a long vacation 〜Tribute to Eiichi Ohtaki(2)



僕自身は、「ナイアガラー」ではない。最初のソロ・アルバム『大瀧詠一』(72年)はリアルタイムで聴いたわけではなく、75年6月9日にラジオ関東で始まった『ゴー!ゴー!ナイアガラ』の存在を知ったのも、放送開始からかなり経ってからのこと。しかも『ゴー!ゴー!ナイアガラ』がラジオ関東で放送されていた時代は、この番組がネットされていなかった札幌市の実家に住んでいたこともあって、ほんの数回しか聴いたことがない。僕の同世代の「ナイアガラー」のほとんどすべては、70年代後半に首都圏で暮らしていた人たちだ。ただし、『ゴー!ゴー!ナイアガラ』には縁が薄かったものの、大滝詠一がオープニング・テーマ曲《こずえの深夜営業のテーマ》(《土曜の夜の恋人たち》の別ヴァージョン)を提供したTBSラジオの番組『馬場こずえの深夜営業』は高校時代に毎週ほぼ欠かさず聞いていた(最終回は、78年4月2日)。大滝詠一がこの番組にゲスト出演したことを覚えているし、逆に馬場こずえがゲスト出演した時の『ゴー!ゴー!ナイアガラ』も、偶然耳にした。また、ナイアガラ・レコードからの第1弾アルバムとしてリリースされたシュガーベイブの『SONGS』(1975年4月25日発売)は、ラジオでたまたま聴いたシングル「DOWNTOWN」がすぐに気に入ったので、翌日の学校帰りにレコード店で購入した。がしかし、この程度では、「ナイアガラー」どころか、その端くれですらない。もっとも、僕は音楽評論家の端くれではあるので、大滝詠一には、やはり少なからず影響を受けている。彼の「音楽」と「音楽評論」の両方に。

近代日本史の中における音楽の流れに関する考察を音楽評論家の相倉久人を相手に繰り広げた「大滝詠一のポップス講座~分母分子論~」(『FM fan』83年11月25日~12月4日号、共同通信社)。これは、大滝詠一の活字による音楽評論の代表作だが、これ以外にも、78年から79年にかけての『ニュー・ミュージック・マガジン』(現『ミュージック・マガジン』)に掲載されていた“ロック研究セミナー”(フィル・スペクターやビーチ・ボーイズ、モータウン・サウンドなどが取り上げられた)、山下達郎との対談による「徹底分析サーフィン/ホット・ロッドって何だ?」(『レコード・コレクターズ』86年7月号、ミュージック・マガジン社)、フィル・スペクターの『レア・マスターズ/幻のスペクター・サウンドVol.1』や『クリスマス・ギフト・フォー・ユー・フロム・フィル・スペクター 』のライナーノーツ……これらの論考から僕は色んなことを学び、おおいに刺激された。とりわけフィル・スペクターに関するほとんどすべてのことは、大滝詠一から教わったと言っていい。

独自の視点に基づき、なおかつ膨大な知識と資料に裏付けされた大滝詠一の音楽評論は、彼の音楽を理解するための最良の副読本である。なぜなら大瀧詠一のレコードは、彼自身の音楽理論の実践であり、研究成果なのだから。研究成果といえば、NHK-FMで放送された『大滝詠一の日本ポップス伝パート1~5』(95年8月7日~11日)と『大滝詠一のアメリカン・ポップス伝パート1~4』(12年~13年)も、忘れられない。90年代半ば以降のレコーディング・アーティストとしての大滝詠一の活動は、主にはっぴいえんどの音源も含む旧作アルバムのリマスタリングのために費やされ、新たに録音された“新作”はシングル「幸せの結末/Happy Endで始めよう」(97年)と「恋するふたり/同(STRINGS VERSION)」(03年)しかない。だが、ラジオ番組の制作というレコーディング活動に対する情熱は衰えなかった。こうした観点からすると、『大滝詠一の日本ポップス伝』と『大滝詠一のアメリカン・ポップス伝』は、レコーディング・アーティストしての大滝詠一が90年代半ば以降に発表した数少ない“新作”であり、なおかつ“偉業”である。もちろん、図書館「大瀧詠一」の重要なアーカイヴ。だからなるべく早く一般に開示し、誰もがアクセスできるようになることを切に希望する。



カテゴリ : Exotic Grammar

掲載: 2014年02月20日 10:00

ソース: intoxicate vol.108(2014年2月20日発行号)

text : 渡辺亨

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