『自分のあたりまえを切り崩す文化人類学入門』就活は現代の通過儀礼?身近な問いを通して自分の「あたりまえ」を壊す文化人類学のすすめ
フィールドワークなどを通じて様々な民族・地域の文化を研究し、文化の多様性や共通性などを探っていく学問「文化人類学」。説明を聞いてもよくわからないという人が多いだろう。そんな文化人類学についてわかりやすく紹介してくれるのが、今回紹介する書籍「自分のあたりまえを切り崩す文化人類学入門」だ。
●「あたりまえ」を見直し「多様性」を受け入れる
著者の早稲田大学文学学術院教授・箕曲在弘は、文化人類学が研究対象とする「文化」を、人々が普段あまり意識していない行動パターンや意味づけだと説明している。それは日々の生活の中で身についた「暗黙のルール」と言ってもいい。
例えば「他人に迷惑をかけないようにする」というのが、多くの日本人にしみついた価値観であり、暗黙のルールだ。
「万が一何かあったら責任が取れない」「周りに迷惑をかける人が信じられない」という感覚――自分たちの行動をこのように意味づけているわけです――は、あたりまえではないかと思う人も多いでしょう。 (※注)
と著者が語るように、「他人に迷惑をかけないよう自分が我慢をする」ことをあたりまえだと考えて行動している日本人は多い。しかし、日本だけではなく世界に目を向けた時、自分が思っているあたりまえは、本当にあたりまえなのだろうか。
ある同じ状況下に置かれたとき、ほかの国や地域で暮らす人はどのような行動を取るのか。そもそも、自分があたりまえだと思っている考え方は何がきっかけで生まれて、本当にあたりまえなのか。
それらを探究するのが文化人類学であり、文化人類学を通して自らのあたりまえを見直すことで、世界中の異なる文化・価値観を受け入れる力がつく。近年、重要視されている「多様性」の最初の1歩だ。
●なぜ唾液は体外に出たとたんに「汚いもの」になるのか
私たちがどんなことをあたりまえだと思っているのか、あたりまえを見直すとはどういうことなのか、具体的な例を紹介しよう。
多くの人が体外に出た唾液を「汚いもの」と認識しているが、なぜ「汚いもの」だと思うのだろう。ネバネバして臭いからだろうか。では、似た性質を持つ納豆はどうして汚いと思わないのか。
唾液と同様に、人は鼻水や小便など、体から排出されたものを「汚いもの」と感じている。体内にあるときは何とも思っていないはずなのに。そこでイギリスの人類学者メアリ・ダグラスは、汚さとは「場違いなもの」であると考えた。
ダグラスはその例として靴を挙げているが、この例は日本人にとって理解しやすいものだと著者は語る。
私たちは玄関で靴を脱いでから室内に入りますが、北欧諸国を除いて西洋の多くの国では、土足で室内に入ります。
私たちにとって土足で室内に入るというのは、どこか汚らわしいというイメージを喚起します。私たちにとって室内で履かれる靴は、「場違いなもの」なのです。 (※注)
靴が汚れていなかったとしても、多くの日本人が土足で室内に入ることに違和感を抱くだろう。その違和感が「汚いもの」という認識に繋がっているのかもしれない。
●「就活」は現代日本の「通過儀礼」?
「通過儀礼」とは、成人式や結婚式など、身分、年齢、状態、場所などの変化・移行をともなう際に執り行われる儀式のこと。日本では、「就活」も通過儀礼・成人儀礼に相当する現象なのだという。
世界的に、成人儀礼は子供から大人へと移行する際に行う儀式だ。しかし日本の就活は、学生から社会人というカテゴリーへの移行に際して行われる。これは日本に「大人」とはまた違う「社会人」という概念があるため。日本では就活を経てお金を稼ぎ始めて、ようやく社会の一員だとみなされる。
一方で英語圏には、社会人という概念がない。大人だろうが子供だろうが、働いていようがいまいが、全ての人が社会の一員だとみなされる。社会人という考え方すら、世界的に見ればあたりまえではないのだ。
本書を読めば、あたりまえとは環境で変わる思い込みであることに気づくはず。人それぞれに自分の思うあたりまえがあると認識すれば、異なる文化を受け入れられる心の余裕が生まれるだろう。本書を通して文化人類学に触れ、多様性を受け入れる視野の広さを培ってみてほしい。
箕曲在弘 著書
文化人類学をもっと学ぼう!
※注:箕曲在弘『自分のあたりまえを切り崩す文化人類学入門』より
タグ : レビュー・コラム
掲載: 2025年04月02日 10:30