縁の下の力持ちどころではない?作品の感動レベルを左右する「映画編集」の仕事とは

映画を作るのに必要な人材と言えば、まずは監督や脚本家、そして役者を思い浮かべる人が多いだろう。しかし脚本家が脚本を書いて役者が演技し、監督が撮影したらそこで映画制作が終わりというわけではない。撮影された素材を集めて再構成する「編集作業」が不可欠となる。今回ご紹介する書籍「映画の切り札 ハリウッド映画編集の流儀」は、日本ではあまりスポットライトの当たることのない「映画編集者」とは何かを解説した一冊だ。
●感動するもしないも編集次第?
著者の上綱麻子は単身渡米し、ハリウッドで編集者として活躍する人物。彼女曰く、映画編集とは
二時間という限られた時間の中で、観る人の心を動かし、躍らせ、時には泣かせる映像体験をクリエイトするために時間という素材をひたすら練り、刻み、「1+1=2」の常識を超えた「1+1=3」の魔法をかける (※注)
という作業。ただ脚本通りに素材を編集して繋ぎ合わせるだけではなく、編集者の腕次第で感動レベルが左右されるという大事な役割を担っている。
具体的な仕事の内容としては、素材を選んで繋げていくのはもちろん、ショットの尺を変えたりスピードを調整したり、シーンの順番を変えてセリフの言い回しを調整したりもする。また、雰囲気を作ったりアクションに刺激を与えたりするための効果音のアレンジもおこなう。
ちなみに、撮影期間中に並行して編集し作られるのが「エディターズ・カット」。「ディレクターズ・カット」はその後最低十週間の編集期間中に、監督が編集者と共に作り上げるものだ。そして最終的に我々観客の前で上映されるものは、プロデューサーやスタジオの意向を反映した「プロデューサー(スタジオ)・カット」となる。
●編集者が生んだラストシーン
映画の出来を左右する編集。もちろん脚本家や監督の指示や意向に沿って編集作業はおこなわれるのだが、著者はより良い作品を作るためなら監督へ意見を出すことを厭わない。象徴的なのが、彼女がハリウッドに編集者として注目されるきっかけとなった映画『アリーケの詩』だ。
同作はレズビアンであり詩の才能に恵まれた17歳の少女アリーケの、心の葛藤と親元から巣立っていく痛々しい成長過程を描いた青春記。娘を愛しながらも心底受け入れることのできない母親とのシーンで感動がピークを迎えるが、それ故にラストシーンの盛り上がりがいまいち足りなくなってしまった。
「ラストにもう一度、観客を感動させたい」という監督とプロデューサーの要望に応じたはいいが、さてどうしたものか (※注)
考えた著者は、監督に「アリーケに最後の詩を書かせる」ことを提案。じつはこの映画は監督の実体験に基づいたもののため、アリーケ=監督と言っても過言ではない。作品のラストを飾るに値するほどの詩が書ける自信がないと最初は著者の案を却下した監督だったが、5カ月もの時間を費やして詩を書き上げ見事映画は完成した。
●3タイプにわけられる映画監督
長年ハリウッドで多数の監督と仕事をしてきた著者は、撮影された素材から監督のタイプを分析し、彼らのセンスやスタイルを読み取っているという。
「優柔不断」タイプはとにかく撮影量が多く、編集段階であらゆるコンビネーションを可能にする利点はあるが、却って監督の個性や意図が読み取れない。安易に長回しで撮影するために役者を疲れさせてしまうこともあるそうだ。
「自信家」タイプは演出家としての自信と映像作りの決断力に優れている。素材の量よりも「質」にこだわり、必要なアングルを効率的に撮るため、編集者としても「どのように繋げればいいか」が一目瞭然。非常に仕事のしやすいタイプと言える。ただし、編集のパターンが限られるため誤魔化しが利かず、監督の演出力によってはあまり冴えないシーンになり得るのが欠点だ。
「料理人」タイプは一番編集者が“やりやすい”タイプ。撮影前から撮り方や画の繋ぎ方を考えているため、撮影量も計算と工夫がされている。そのため素材を見るだけで監督がそれをどう調理して欲しいのかがわかるのだ。撮影量が多い場合でも、どのショットにも意味があるため利用できる。
こういった観察眼も、優れた編集者には必要なものなのだろう。
意外と知らない「映画編集」の世界。これまでは役者の演技や演出しか気にしていなかったが、今後は編集にも注目して映画を観てみると、また違った面白さを見出すことができるのではないだろうか。
注)「映画の切り札 ハリウッド映画編集の流儀」より引用
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掲載: 2025年08月06日 14:53

