ハンバートハンバート
さまざまなルーツ・ミュージックに新解釈を施しながら、しなやかにわが道を行くトラッド・フォーク・デュオがタワーレコード限定CD+DVD『合奏』をリリースした。ケルティック・フィドル・バンド、フィドラーズ・ビドとのレコーディング・セッションによってさらなる地平を開拓した本作について、メンバーに話を訊いた。
どんどん地が出て、結局、泥臭くなっちゃった
──98年結成とのことですが、そもそもハンバートハンバートはどんな感じでスタートしたんですか?
佐藤良成(ヴォーカル/ギター/フィドル/他)「大学時代に僕がオリジナル曲を作っていて、それをバンドでやりたいなと思って、友達に声をかけて結成したんです」
──その時はどんなバンドをやろうと思ったんですか?
佐藤「なんかこうチャラチャラした感じというか(笑)、最初はフレンチ・ポップみたいなお洒落なバンドをやりたいなと思ったんです。それで〈ロリータ〉っていう小説に出てくる〈ハンバートハンバート〉っていう登場人物の名前をバンド名にしたんですね」
佐野遊穂(ヴォーカル/ハーモニカ/他)「そうだったんだ(笑)」
佐藤「僕のなかでは〈フレンチ・ポップ=ロリータ〉みたいなイメージがあったんで、小柄な女性コーラスがいたほうがお洒落だろうと。それで遊穂に声をかけたんです」
──佐野さんはハンバートハンバートに誘われるまで、まったく音楽を聴いていなかったんですよね。
佐野「そうなんですよ」
──なんとなくビートルズを聴いたりとか、そういうこともなく?
佐野「はい。まったくなかったです」
佐藤「ビートルズはバンドを始めてから、僕がテープを編集して彼女にあげました」
佐野「それで有名な曲を聴いたら、〈あ、これ聴いたことある!〉とか言う感じで(笑)。そうやって、バンドに入ってから、いろんな音楽を教えてもらいました」
佐藤「そんな感じでお洒落なバンドをやろうと思っていたものの、結局、根がお洒落じゃないものですから、どんどん地が出て、結局、泥臭くなっちゃった感じなんですけど(笑)」
──ハンバートハンバートのサウンドには、ザ・バンドに代表されるアメリカのルーツ音楽に根ざしたロック・バンドだとか、はっぴいえんどや高田渡といったURC系アーティストからの影響が色濃く感じられますが、佐藤さんは、そのあたりの音楽をいつ頃から聴きはじめたんですか?
佐藤「中学生の頃ですね。同級生にお金持ちの友達がいて、彼からいろいろCDを貸してもらって。ザ・バンドやCCRはその友達に教えてもらいました。あと、実家にカントリーなどの古いレコードが数枚あって、それを子供の頃から聴いてきたっていうのも、もしかしたら影響あるのかもしれないですね」
──結成当初のハンバートハンバートはどんな編成だったんですか?
佐野「良成と私と、ドラムス、ベース、サックス、キーボードの6人です」
佐藤「でも、そのうちに就職活動やなんかで、メンバーがだんだん辞めていって。それで気付いたら2人組になっていたんです」
佐野「一時期はメンバーを入れようと思っていたんですけど、なかなか固定しなくて」
佐藤「基本的にザ・バンドが好きなので、彼らのような音にしたいなと思うと必然的にメンバーが5~6人になっちゃうんです。でも、人数が多ければ多いで、思った通りの音にならないし、そのうえ、ライヴの動員も増えなければCDも売れずで、すごく困っちゃって(笑)。そんな感じでいろいろあって2人で活動するようになったんです」
──僕が最初にハンバートハンバートのライヴを観たのは下北沢のバー、ラ・カーニャだったと思うんですけど、結成当初からカフェやバーで演奏する機会は多かったんですか?
佐野「ちょうど私たちが活動しはじめた頃って、カフェ・ブームがあったりして、バンドが演奏できるようなお店が増えていたんですね。だからわりと自然な感覚でライヴをやるようになって」
佐藤「いちばん多くやってるのは、やっぱり下北沢のラ・カーニャですかね。あのお店で演奏するようになって、高校時代から好きだった加川良さんや中川五郎さんによくしてもらうようになって」
佐野「〈春一番コンサート〉に出演するようになったのも、ラ・カーニャに出入りするうちに、その界隈の人たちに知ってもらったからかもね」
佐藤「ラ・カーニャで出会ったミュージシャンの方々には、いろいろとお世話になっています」
- 次の記事: ハンバートハンバート(2)