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CHEAP TRICK(チープ・トリック)、圧巻の祝40周年記念公演ライヴ・レポートが到着

チープ・トリックが10月11日にZepp Tokyoにて開催した、圧巻の「祝40周年記念」公演のライヴ・レポートが到着した。

 

1977年にアルバム『Cheap Trick』でデビュー。2016年に「ロックの殿堂入り」を果たし、デビュー40周年という節目に当たる昨2017年には、通算18作目の最新アルバム『ウィア・オール・オールライト!』と、キャリア初のクリスマス・アルバム『Christmas Christmas』が相次いで発表になり、日本ではEPIC期の12作品が、関連音源のほぼ全てを追加収録した拡張版/紙ジャケット仕様でリリースされた。

バンドの運命を変えた1978年4月の武道館公演からちょうど40年を数えるこの春、一夜限りの「祝40周年公演」が4月25日に武道館にて予定されていたが、オリジナル・メンバーでギタリストのリック・ニールセンが体調不良でダウン。渡航不可という医師の判断により公演はいったん延期となり(その後調整が行われた武道館での振替公演はかなわなかったが)、10月11日(木)にZEPP TOKYOにて待望の振替公演が行われた。

■チープ・トリックが日本初上陸40周年記念公演でみせつけた今なお現在進行形の変わらぬ姿勢と、さらなる可能性。

10月11日、チープ・トリックの一夜限りの来日公演が東京は台場のZEPP TOKYOにて行なわれた。今年は彼らの初来日公演(1978年4月)と、その際の収録音源によるライヴ・アルバム、『チープ・トリックat武道館』の発売(同年10月)から数えて40周年にあたり、去る4月にはそれを記念しての日本武道館公演が組まれていた。が、その直前にギタリストのリック・ニールセンが急病に見舞われ、2008年以来となる武道館公演は実現不能に。今回のライヴはその振替公演にあたるもので、収容規模が武道館の4分の1ほどしかないZEPP TOKYOは当然のごとく完全ソールドアウトの満員状態となった。

開演定刻の午後7時、さまざまな世代のファンがひしめくフロアに流れるBGMはロニー・ウッドの“アイ・ドント・シンク・ソー”。すると突然、場内は暗転。ショウの始まりを告げるアナウンスが終わると同時に炸裂したのは“ハロー・ゼア”だ。1977年発表の2ndアルバム、『蒼ざめたハイウェイ』の冒頭に収録されていたこのコンパクトなファスト・チューンが、彼らのライヴの幕開けを飾る定番曲であることは改めて説明するまでもない。時と場合によってはセットリストに組み込まれないこともあるものの、40年前の春に日本初上陸を果たした彼らがこの国で最初に演奏してみせたのもこの曲だった。

年齢層的にも幅広く、ファン歴の長さも異なるはずのオーディエンスは、2分間にも満たないこのオープニング・チューンの疾走感に束ねられ、すぐさま場内には一体感が。すると続けざまに聴こえてきたのは“カモン・カモン”。さらにはオリジナル・アルバム未収録の人気曲である“ルックアウト”、そして“ビッグ・アイズ”と小気味よく続いていく。その間、いわゆるMCらしいMCは一切ない。例によってリックは曲が変わるたびに自らのコレクション披露をするかのごとく使用ギターを替えていくが、彼がステージ袖へと下がるわずかな時間の隙間は、彼の実の息子であるドラマーのダックス・ニールセンの繰り出すビートが埋めていく。音が途切れないからこそ、その場に渦巻くものが途切れることもない。

そして実は、ここまでの4曲の並びは、前述の『at武道館』の収録順そのまま。40年前の実際の演奏順はこの通りではなく、それは同作の発売20周年を記念して1998年に登場した『at武道館:ザ・コンプリート・コンサート』によっても明らかにされているが、あの伝説的ライヴ・アルバムを聴きまくってきた人たちにとっては、まさにタイムスリップを味わうかのような想いだったに違いない。しかもその感覚は世界共通のものでもあるのだ。リックの口癖には「武道館がチープ・トリックを有名にし、チープ・トリックが武道館の名を世界に広めた」というのがあるが、同作はそもそも日本のみでの発売を想定して制作されたものだったにもかかわらず、逆輸入的な形でアメリカでもヒットし、全米アルバム・チャートでも最高4位を記録。母国をはじめ世界に彼らの名を知らしめる文字通りの出世作となったのだ。

40年前と何ら変わらない。誰もがそんな感触を味わっていたはずだが、ステージ上のチープ・トリックには、過去との明らかな違いがあった。なんとメンバーが5人いるのである。前述の通り、現在このバンドのドラマーは、オリジナル・メンバーのバン・E・カルロスではなくダックス・ニールセンが務めており、まずはその差異もあるわけだが、それに加え、ステージ上手後方に見慣れないギタリストの姿があるのだ。何を隠そうこの若者こそ、このバンドの唯一無二のフロントマンであり、リックに「世界でいちばん好きなシンガー」と紹介され続けているロビン・ザンダーの息子、ロビン・テイラー・ザンダーなのである。リックが病に倒れた際にもステージに立ってきた彼は、いわゆるサイド・ギターとバッキング・ヴォーカルを担当するサポート・ミュージシャン的立場にある。誤解を恐れずに言えば、このバンドのライヴを成立させるうえでどうしても不可欠な立場にあるというわけではない。が、彼の存在によりロビンがギターを抱えずに歌唱に専念することのできる曲が増え、リックのコーラスの負担も軽減される。しかもロビン・ジュニアが父親譲りのほぼ同じ声質でハーモニーを重ねてみせるのだから、これはたまらない。少々大袈裟な言い方であるのは承知のうえだが、チープ・トリックの血を遺伝子レベルで受け継ぐ若い世代の関与が、ただでさえ衰えを知らないこのバンドをいっそう若々しく保っているという解釈もできるのではないだろうか。

ライヴはその後も、40年前と変わらぬ快活さを保ちながら、40年前には生まれていなかった楽曲たちをも散りばめながら続いていった。現時点での最新オリジナル・アルバムにあたる『ウィア・オール・オーライト!』(2017年)からの選曲は“ユー・ガット・イット・ゴーイング・オン”のみにとどまったが、同作発表後に生まれ、この春に配信リリースされた新曲“The Summer Looks Good On You”までも、彼らは披露してみせた。しかもリックならではの「アメリカではチャートを独走したけど日本では全然」という冗談付きで。加えて、すでに次なるアルバムを制作中だとの話を交えながら、ジョン・レノンの“真実が欲しい”のカヴァーを披露したかと思えば(ちなみに去る10月9日はジョンの誕生日にあたる)、多弦ベースの先駆者ともいうべきトム・ピーターソンは、自らがリード・ヴォーカルをとる“アイ・ノウ・ホワット・アイ・ウォント”からメドレーのような形でヴェルヴェット・アンダーグラウンドの“ウェイティング・フォー・ザ・マン”を歌ってみせた。『蒼ざめたハイウェイ』と同様に41年前に世に放たれたデビュー・アルバム、『チープ・トリック』(1977年)からも2曲が披露された。

つまり、あくまで40周年記念という言葉が掲げられた本公演であるとはいえ、そこには40年以上前に生まれていた楽曲や、彼らが影響を受けてきた音楽、80年代や90年代、2000年以降のこのバンドの変遷を彩ってきた曲たちが混在していて、それらすべてがこの記念すべき公演には欠かせないものだったということ。しかも40年前には生まれてすらいなかったロビン・ジュニアまでもがそこに立ち会うという、まさに2018年の現在にしか成立し得ないライヴになっていたのだ。

ショウは“ヴォイシズ”や“永遠の愛の炎”といったメロウな楽曲で緩急をつけながらも、序盤からの小気味よいテンポ感を崩すことなく続き、“甘い罠”からの“ドリーム・ポリス”という黄金の流れを経て一度は着地点へと到達。しかしそこで勿体ぶりながらアンコールに応えるのではなく、ステージから姿を消すこともせぬまま、リックの「ダックスが、もう何曲かやれる時間があるって言うんだけど」という言葉から、“今夜は帰さない”へと突入。最後の最後は“サレンダー”の大合唱を経て、オープニングの“ハロー・ゼア”と対をなす“グッドナイト”で幕を閉じた。全24曲、2時間近くに及ぶ実に密度の濃いライヴだった。

リックは途中、40周年について語りながら「1978年当時の俺とロビンはまだ5歳だった。今はようやく25歳」という計算の合わないジョークを口にしていたが、このバンドのライヴが教えてくれるのは、円熟、熟成というのが、レイドバックや“枯れ”とは必ずしも同義語ではないということだ。そしてグッド・ソングが年数を経ても輝きを失わないのと同様に、どんな時代にもコンスタントに創作活動を続け、ライヴ・バンドとしての呼吸を止めたことのないチープ・トリックもまた精気を失うことがない。記念すべき節目での武道館公演実現が叶わなかったことは少々残念でもあるが、常にツアー活動を続けてきた彼らがこの局面で自己初となるZEPP TOKYO公演を実現させたというのも、実にこのバンドらしい話だといえる。そして、ひとつ確かなこと。それは、彼らが次回この国に上陸するのが、初来日から45周年を迎えた時ではなく、次なるアルバムに伴うツアーが行なわれる時だということだろう。

(TEXT:増田勇一)

カテゴリ : タワーレコード オンライン ニュース

掲載: 2018年10月12日 17:46