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イーゴリ・ストラヴィンスキー:《春の祭典》

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o-cha-no-ma LONG REVIEW
公開
2013/11/08   10:00
ソース
intoxicate vol.106(2013年10月10日発行号)
テキスト
text : 渋谷店 伊藤圭吾


パリでのあのスキャンダラスな初演から100年。

広く知られる通り、1913年5月29日シャンゼリゼ劇場におけるバレエ「春の祭典」初演は大混乱の末怪我人まで出す一大スキャンダルに終わったが、はたしてそれは失敗であったのか。翌日より新聞各紙はことの顛末を大いに書き立て、「19世紀の首都」としての栄華を引き継ぎ繁栄を謳歌するパリの人士はこぞって事件の目撃者たらんと二日目以降劇場に詰めかけ、「バレエ・リュス」はまたしてもその(悪)名を轟かせたのであった。

音楽と舞踏の圧倒的な革新性を製作段階から熟知していたディアギレフの狙いがスキャンダル(今なら炎上マーケティングとでも言うべきか)にあったとすれば、若きコクトーに向かって「俺を驚かせて見せろ」と言い放ったこの稀代の 大興行師、客席に幾人かのサクラを仕込ませる程度のことはしたであろうし、周到に賛成派と反対派を効果的に配置して混乱を煽ったのではないか。二日目以降の公演がさしたる混乱もなく無事に行われたという話を聞くにつれ、そんなことを思いもする。表もあれば裏もある、それ自体は他愛もない出来事にそうとわかった上であえて乗る。退屈しのぎのゲームを提供してくれた謝礼と思って抜け目ない仕掛人を儲けさせる。そうしたゲームの規則に則った成熟した社会における市民の振る舞いが、興行師の成功を可能としたのかもしれない。

だとしたら、あの日シャンゼリゼ劇場で「春の祭典」を踊ったのは、舞台上のダンサーでもオケピットの楽士たちでもなく、客席の聴衆だったわけだ。中には本気で熱くなった者もいただろうし呆れて席を立った者もいただろう。それぞれがそれぞれの役割を律儀に果たして「前代未聞の醜聞」に立ち会ったのがあの日の出来事だったとすれば、あの音楽と舞踏の革新性が初めて発見されるには今しばらくの時間、例えば初演半世紀後に行われたブーレーズによる第一回録音までの時間が必要とされたのだろう。

やがて年が改まり1914年、人々は「八月の砲声」を耳にすることとなる。百戦錬磨のゲームの達人たちが悉くその読みを外し事態の変化に立ち尽くすこととなる第一次大戦の開幕である。



ストラヴィンスキー: 春の祭典, 4つのエチュード [Columbia TWCO-40]

マルケヴィチなど先駆的演奏はありましたが、精緻にして生々しい表現はやはり他に抜きんでておりますブーレーズによる1963年録音。「春の祭典」録音史上の画期となりました。

 

Claude Debussy - The composer as Pianist [PIERIAN PIERIAN0001]

「春の祭典」初演と同月に自作「遊戯」がバレエ・リュスで上演されたドビュッシー。彼のピアノ演奏をまとめた一枚です。1913年ピアノロール録音による前奏曲のほか仏G&T録音による、メリザンド歌いメアリー・ガーデンの伴奏が聞けます。

 

ネリー・メルバ:アメリカ完全録音集 3(1907-1916) [NAXOS 8110336]

19世紀から20世紀初頭にかけてパリでも愛された名花による美しい歌唱。収録曲中、米Victorによる1913年録音の「アヴェ・マリア」ではヴァイオリンの偉大な名手ヤン・クベリークが伴奏をつけています。

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