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ウィレム・メンゲルベルク生誕150年記念特集(1871年3月28日 - 1951年3月22日)

カテゴリ : Classical

掲載: 2021年03月22日 16:30

更新: 2021年07月21日 16:45

メンゲルベルク

2021年3月はオランダが生んだ大指揮者ウィレム・メンゲルベルク(1871年3月28日 - 1951年3月22日)が生誕150年と没後70年を同時に迎える記念月となります。ここではメンゲルベルクの生涯と芸術、そして入手可能なCDについてご紹介いたします。

メンゲルベルクは彫刻工のドイツ系の父のもとオランダ、ユトレヒトに生まれました。幼い頃より楽才を発揮し、ケルン音楽院でベートーヴェンの孫弟子フランツ・ヴュルナーに師事。1891年にルツェルン市立歌劇場の指揮者となり、95年には弱冠24歳でアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の首席指揮者に就任。以後50年にわたって同団を率い、世界屈指のオーケストラに育成しました。

メンゲルベルク&コンセルトヘボウの精緻なアンサンブルと圧倒的な表現力は同時代の作曲家を魅了し、1898年にR.シュトラウスが同コンビに交響詩《英雄の生涯》を捧げたのは有名です。また、1902年に指揮者として初めてコンセルトヘボウ管弦楽団に客演したマーラーとは、すっかり意気投合し、以後、マーラーがアムステルダムに客演する際にはホテルに泊めさせず、自宅に泊めて延々と音楽談義を楽しみました。また、マーラーのリハーサルにも必ず出席し、その指示をスコアに書き留めました。他にもグリーグ、ラフマニノフ、レスピーギ、ストラヴィンスキー、ミヨーといった大作曲家たちと懇意にしていました。また、チャイコフスキーの弟、モデストとも親しく、チャイコフスキーが演奏した際の書き込み入りのスコアを贈られています。交響曲第5番第4楽章におけるメンゲルベルクのカットは、チャイコフスキーが再演の際に行ったカットであることが明らかになっています。ベートーヴェン演奏においても、師から授けられたベートーヴェン自身のテンポと総演奏時間のデータを譜面に書き込んで使っていました。

1920年代にはオランダ文化を体現する存在として国民の人気を集め、「Het Leven」誌が1922年と27年に行った「最も人気のある20人のオランダ人は誰か」という読者投票で、多くの有名人を抑えて2回連続第1位を獲得するほどでした。今の日本でいえば、イチローやビートたけしクラスの人気者になるでしょう。

1930年代にはオランダ1の有名人である上に外国での収入も増え、高価なキューバ産の葉巻を吸い、タクシーに頻繁に乗るというライフスタイルが税務当局に目を付けられ、税の支払いを巡って当局と対立。1933年にはスイスへの移住を決断しました。

メンゲルベルクの運命が暗転したのは、オランダがナチス占領下にあった1940年7月11日のこと。この日、オランダの朝刊紙「テレグラフ」がナチスの機関誌に載ったメンゲルベルクのインタビューを転載。メンゲルベルクがナチス・ドイツと降伏したオランダとの休戦協定をシャンパンで祝った、という内容が掲載されたことで、オランダの多くの市民がメンゲルベルクを「裏切り者」と見做すようになったのです。

メンゲルベルクはフルトヴェングラー以上に政治にナイーブで、1940年10月にユダヤ人作曲家、マーラーの交響曲第1番の演奏許可を求め、ナチス当局を唖然とさせます。この1回だけは許可されて、第1はアムステルダムとハーグで演奏されましたが、これがメンゲルベルクにとって生涯最後のマーラー演奏となりました。その後はユダヤ人作曲家はもちろん、独ソ開戦後はチャイコフスキーの演奏も許されなくなりました。また、ドイツ、フランス、ハンガリーなどナチス・ドイツ支配下のオーケストラに客演を続けたことも戦後仇となりました。

1944年6月のパリでのベートーヴェン第9演奏が結果として生涯最後の演奏会となり、その後、スイスの自宅山荘に戻ったまま、戦後はオランダからビザを停止され、欠席裁判により生涯演奏停止(その後6年に短縮)の命令を下され、復帰を果たさぬまま1951年に80歳の生涯を閉じました。

メンゲルベルクの再評価は、上記の事情もあってオランダではなかなか進みませんでしたが、没後10年の1961年に戦前から関係の深かったフィリップスがAVROラジオ局の保管棚に眠っていた、ラジオ放送用のガラス製レコードを再生して12組のLPレコードを発売したことが最初のきっかけとなりました。それでも当時は戦中派の方が多く生きており、嫌悪感を示す人も多かったようです。

メンゲルベルクの本格的な研究は世紀の変わり目の頃にメンゲルベルクを知らない世代の音楽学者によって進み、アムステルダム大学出版から2分冊の評伝が発売されたことで、ようやく正確な情報が得られるようになりました。そして、「恣意的な改竄」と見なされてきた彼の譜面の変更も、作曲家の自筆譜や書き込み譜の「研究」、弟子たちからの「口伝」からなる、根拠のあるものだったことが次第に明らかになっています。2021年の記念年を機に、メンゲルベルク再評価が進むことを願わずにはいられません。
(タワーレコード 商品本部 板倉重雄)


メンゲルベルク おすすめディスク
※何れも戦前のSP録音、またはライヴ録音ですのでモノラル、かつ各種ノイズが伴います。予めご了承ください。

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ウィレム・メンゲルベルクの芸術 with コンセルトヘボウ管弦楽団(31枚組)

英スクリベンダムがメンゲルベルクのアニヴァーサリー・イヤーに贈る廉価BOX!このBOXには彼が半世紀にわたって率い、世界最高のオーケストラへ育成したコンセルトヘボウ管弦楽団とのセッション録音とライヴ録音が幅広く収められています。それは1926年5月録音のSPレコードの復刻から、1944年2月の放送用ライヴ録音までの約20年に及び、レパートリーも彼が得意としたベートーヴェン、ブラームス、チャイコフスキー、マーラー、R.シュトラウスの作品などを収録しています。メンゲルベルクを知る上で格好のBOX登場と言えるでしょう!

「聴衆のすすり泣きが聞こえる…」J.S.バッハ:マタイ受難曲

1939年4月2日、アムステルダムでのライヴ録音。メンゲルベルクは、1895年にコンセルトヘボウ管弦楽団の首席指揮者となって以来J.S.バッハの演奏に情熱を注ぎ、とりわけ「マタイ受難曲」を多く取り上げました。このライヴは第二次大戦直前の復活祭前日の日曜日の演奏で、それまで何十年も途切れることなく毎年演奏を行ってきたとのことですが、同年9月1日にドイツがポーランドに侵攻し勃発する第二次世界大戦により、以降は途絶えてしまったと言われています。これはフィルムのサウンドトラックと同じ原理でライヴ録音されたもので、メンゲルベルクが指揮台をタクトで叩く音や、聴衆の雰囲気も収録されています。演奏は大管弦楽、大合唱による壮麗無比なもので、キリスト受難のドラマが迫真的に、凄まじい迫力とともに描かれています。「憐れみたまへ」のアリアで、聴衆のすすり泣きが聞こえることでも有名な録音。

レコード芸術4月号「レコード誕生物語」掲載!ベートーヴェン:交響曲全集

1940年4月&5月、アムステルダムでのライヴ、同年11月、スタジオ(英雄のみ)録音。ベートーヴェンはメンゲルベルクのレパートリーの中核でしたが、生前に全曲録音を行うことなく亡くなりました。この音源はオランダの放送局AVROの保管棚にあった放送用のガラス製ディスクから、メンゲルベルクの没後10年を記念して1961年に初発売されたもの。《英雄》のみは第1楽章の原盤が失われていたため、同年のテレフンケンへのセッション録音がライセンスされています。演奏前にメンゲルベルクが指揮台をタクトで叩く音から、楽章間のチューニング、演奏後の盛大な拍手まで収めており、古い録音にも関わらず、彼の演奏会に接しているような臨場感を味わうことができます。とくに奇数番号の交響曲の堂々たる進行、確信をもった濃い表情、終楽章へ向けて白熱する高揚が聴き物です。

上記「全集」以外のライヴ音源を集成!ベートーヴェン交響曲集~未発表録音集

1936~43年、アムステルダムでのライヴ録音。メンゲルベルク&コンセルトヘボウ管弦楽団がラジオ放送を開始したのは1925年のこと。放送用ディスクは上記1940年のベートーヴェン交響曲全集以外にも残されていましたが、原盤の状態が悪いものが多く、すべてがCD化された訳ではありませんでした。この4枚組には2000~01年に、フランスのターラ社が音源を発掘・初CD化したベートーヴェン録音がまとめられています。最も貴重なのは上記「全集」に含まれなかった《英雄》が2種類入っていることです。そのうち一つは、1940年2月の第1楽章が欠けた録音であり、上記「全集」を補完するものとなっています。

貴重なインタビューも収録!ブラームス: 交響曲第1番~未発表ライヴ録音(1943)~

1943年4月13日、アムステルダムでのライヴ録音。これもフランスのターラ社が初めてCD化したライヴです。ティンパニの強烈連打、巨大なスケール、劇的迫力、濃密な歌いっぷり、ビロードのような弦に代表されるオーケストラの上手さ等、語り尽くせないほど魅力の詰まった演奏。また、第1楽章では「運命動機」を強調するなど、表現によってブラームスとベートーヴェンの絆を明らかにしようとする意図も実感されます。インタビューは38年11月8日ミュンヘン・フィルとの本番リハーサルの前に行われたもので、チャイコフスキーの交響曲第5番について、チャイコフスキーの弟モデストからもらった作曲者自身の修正・書き込み付スコアを参考にしたことなど、貴重な証言をメンゲルベルクの声で聞けます!(解説書に平林直哉氏による訳を掲載)

SPからの復刻によるメンゲルベルク/チャイコフスキー - テレフンケン発売録音集大成

1937~41年、セッション録音。メンゲルベルクがバッハ、ベートーヴェン、マーラーとともに看板レパートリーとしていたチャイコフスキー作品のテレフンケン社への録音を集成したセット。戦前からの名盤《悲愴》は日本で親しまれた1937年録音と、SP盤では日本未発売に終わった1941年録音の2種を収録。他に交響曲第5番、ピアノ協奏曲第1番(ピアノはコンラート・ハンゼン)、序曲《1812年》、そして名演の誉れ高い弦楽セレナードを収録しています。

メンゲルベルクとコンセルトヘボウ管弦楽団に捧げられたR.シュトラウス:交響詩《英雄の生涯》

1928年、セッション録音。上記「生涯と芸術」で触れた通り、1898年にR.シュトラウスは交響詩《英雄の生涯》をメンゲルベルクとコンセルトヘボウ管弦楽団に捧げました。この両者による録音は1941年に行われましたが、残念ながら現在は復刻盤が手に入りにくい状況です。そこで、メンゲルベルクがニューヨーク・フィルを指揮して録音した1928年盤をご紹介します。メンゲルベルクは1922年から1930年までニューヨーク・フィルの常任指揮者を務め、同団の演奏技術の向上に寄与しました。その成果が、膨大なオーケストレーションをもつ《英雄の生涯》の録音に見事に現れています。