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史上最強のトライアングル(2)

82年は各自ソロ活動に精力を注ぐ。スティングは映画「Brimstone & Treacle」に出演(同映画のサントラには、スティングのソロ作品と、ポリスのインストゥルメンタル作品が書き下ろされている)、スチュワートはフランシス・コッポラ監督の映画「ランブル・フィッシュ」のサントラとサンフランシスコ・バレエ団「リア王」の音楽を手掛け、アンディーは元キング・クリムゾンのロバート・フリップとともにインストゥルメンタル・アルバム『I Advance Masked』を制作した。そして年の瀬を迎えるころ、3人はようやくポリスのレコーディングに取りかかる。

83年5月にシングル“Every Breath You Take”をリリース。スティングが「個人的にひどく悲しいときに書いた」というこの曲は、その制作プロセスが生んだカタルシス効果が各パートにも乗り移り、結果、多くの人々の心を打ち、ポリス最大のヒット曲となったのだ。続いて6月に発表された5枚目のアルバム『Synchronicity』も世界中で大ヒットを記録。“Wrapped Around Your Finger”“Synchronicity II”“King Of Pain”と続々シングル・ヒットが生まれた。この夏から翌84年の3月にかけて、実質的にはラストとなったワールド・ツアーを敢行。残念ながらこのときに日本でのライヴはおこなわれなかったが、ツアー直前に、プロモーションでアンディーだけが来日した(『ベストヒットUSA』に出演したのを覚えているぞ)。そういえば『Synchronicity』のUS盤は、たしか数種類のパターンが存在した。青、黄、赤のペンキのようなラインの下に写るメンバーの写真が、ちょっとずつズレていたのだ。ステッカー付きや立体画、変形ジャケットはよくあるけど、これは珍しい。それから、〈Synchronicity〉(=共時性原理)という言葉は、当時スティングが影響を受けていた心理学者、カール・グスタフ・ユングの定義から引用したものなのだが……当時、日本のレコード会社が作っていた宣伝グッズは、〈ポリス〉と書かれたなんの変哲もない黒鉛筆。なぜかというと……シンクロニシティー→シンクロニシテ→芯黒にして……。

頂点を極めた、史上最強のトライアングル

84年のツアー終了時点で、彼らは活動を停止する。その理由は、とくに明確にされなかったが、たしかにここまでの成果を見ると、バンドとしてのやるべきことは、ほぼ成し遂げてしまったといえる。85年には、スティングの本格的ソロ活動開始を告げる傑作アルバム『The Dream Of The Blue Turtles』が発表される。ところが86年6月、 アムネスティー・インターナショナル主催のイヴェントにポリスが出演、ファンを驚かせた。7月には、オリジナル・アルバム制作のためにスタジオ入りしたが、完成には至らなかったらしく、10月に“Don't Stand So Close To Me”の新録ヴァージョンを含むベスト・アルバム『Every Breath You Take : The Singles』(現在は『Every Breath You Take : The Classics』と改訂)をリリースし、ポリスの活動は終了したのだ。
 92年8月22日。スティングとトルーディー・スタイラーの結婚式に、スチュワートとアンディーが参列していた。パーティーは、スティングの自宅の裏庭に張られた大テントの中で催され、そこで、かつての3人が数曲を披露したらしい。

カテゴリ : ピープルツリー

掲載: 2001年11月22日 18:00

更新: 2003年03月07日 18:39

ソース: 『bounce』 226号(2001/10/25)

文/土屋 恵介

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