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ポリスが内包していた、非ロック音楽

ポリスと非ロック音楽との関わりについて述べよ、とあらためて言われると、逆にちょっととまどってしまうのだ。タコ焼きにはなぜタコが入っているのかと問われているようなものだから。ポリスがメジャー・デビューした78年4月は、パンクからニューウェイヴへの端境期にあたる。ニューウェイヴ期には、従来のロックのフォーマットには収まりきらない新しいサウンドを試みるミュージシャンが続出したわけだが、そうしたスタイルの実験化、多様化の起こりというか象徴的存在だったのがまさにポリスだった。なにしろ彼らの名前を知らしめたデビュー・シングル“Roxanne”からして、抑制されたレゲエのリズムをベースにした曲だったし、その後も単純な8ビートの曲などほとんどなかったと言ってもいい。当時は、たとえばクラッシュなどもレゲエ/ダブ的テイストを導入してはいたが、消化や練りこみ方のレベルには、大学生と小学生ほどの差がある(というのは少々言い過ぎか?)。それだけポリスは、当時のパンク・シーンにあってほかとは比較にもならないほど、さまざまな非ロック・ミュージックを知り尽くしていたし、サウンド・プロダクションも知的で洗練されていた。最初から彼らはポスト・パンク的〈オトナの音楽〉を実践していたのである。こうした背景には、3人のメンバーの音楽的出自というかキャリアの問題がある(詳細については別コラムで語られているので省く)わけだが、とりわけスティングのバックボーンにジャズがあったことは大きかったと思う。スティングとジャズの関わりがソロになってから一層際立っていったことは、マイルス・デイヴィスやブランフォード・マルサリスといった共演者たちの名前を具体的に出すまでもなく、音そのものが語っている。また第三世界のエスニック・ミュージックへの接近についても、先述のレゲエ/ダブ的テイストの導入は一貫して目立っていたし、ほかにも“De Do Do Do, De Da Da Da”におけるスカのノリ、“Every Little Thing She Does Is Magic”におけるカリビアン風ムードなど、いくつも挙げられよう。これに関しては、ザイールのレイ・レマと共演してしまったスチュワート・コープランドのソロ・アルバム“The Rythmatist”(85年)が象徴的作品として挙げられる。さらに、もともとブルースからプログレまであれこれ演奏していたアンディー・サマーズは、バンド後期から旧友ロバート・フリップと共演したり、ニュー・エイジ系のレーベル、プライヴェート・ミュージックと契約したりするなど、これまたロックの王道とは完全に別の道を進んでいったが、そうした彼本来の志向性や資質もまた、ポリスのひと筋縄でいかないサウンドを見えない部分で支えていたのである。

カテゴリ : ピープルツリー

掲載: 2001年11月22日 18:00

更新: 2003年03月07日 18:39

ソース: 『bounce』 226号(2001/10/25)

文/松山 晋也

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