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Public Enemy

権力が言うところの〈民の敵〉は、民衆の声を代弁して心を鼓舞する、最高に過激な娯楽だ。高密度にオーガナイズされたアグレッシヴなプロダクションと、個性豊かなキャラクターたち、そして、声高に突進する説得力十分なメッセージ……パブリック・エナミーの登場は、ヒップホップのみならず、あらゆるポップ・ミュージックにとって衝撃的な事件だった。時計の針は止められなくとも、奴らはまだまだ歩みを止めない!! 奴らを黙らせるには百万単位の国家が必要だ!

史上最高のの首謀者

パブリック・エナミーの通算8枚目となるアルバムのタイトルは『Revolvelution』という。これはもちろん、〈Revolver〉と〈Revolution〉を組み合わせた造語だ。そして、この〈Revolvelution〉という言葉に集約された(Revolverに象徴される)銃と革命こそが、彼らについて語るうえで重要な言葉なのである。恐らく、パブリック・エナミーの曲そのものを聴いたことがない人でも、ライフルの照準の十字線がとらえた男を図案化した彼らのロゴくらいは見たことはあるだろう。

 このロゴを考え出したのは、グループのリーダーであるチャックDだ。アデルファイ大学でグラフィック・アートを専攻していた彼をMCとして借り出していたDJチーム、スペクトラム・シティを率いるハンク・ショックリー、ブロンクス~ブルックリンをカヴァーするFM局WBAUでラップをかけていたビル・ステフニー、そして、チャックの3人が、〈ランDMCとクラッシュを組み合わせたようなグループを作ろう〉と入念にコンセプトを練った結果、すでにチャックが作り上げていた“Public Enemy No. 1”という曲のタイトルをそのまま活かして生まれたグループがパブリック・エネミーだった。いまからちょうど20年前、1982年の話である。他のメンバーは、チャックの古くからの友人で彼より1つ歳上のラッパー、フレイヴァー・フレイヴ、DJのターミネーターX、そして、スペクトラム・シティのセキュリティーをしていた連中のうち、ラッパーのプロフェッサー・グリフをはじめとする集合体であるS1W(The Security Of The First Worldの略)から成っていた。そして、彼らがリック・ルービンの目に留まってデフ・ジャムと契約し、『Yo! Bum Rush The Show』でアルバム・デビューするまでには、さらに5年を要することになる。

カテゴリ : ピープルツリー

掲載: 2002年08月22日 16:00

更新: 2003年03月13日 18:47

ソース: 『bounce』 234号(2002/7/25)

文/小林 雅明

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