こんにちは、ゲスト

ショッピングカート

特集

聴き手は死後作品にどう向き合うべきなのか?

カテゴリ : スペシャル

掲載: 2011年02月10日 15:22

更新: 2011年02月10日 15:22

ソース: bounce 328号 (2010年12月25日発行)

文/出嶌孝次

 

アーティストが逝去してから出(され)る楽曲やアルバムに対しては、〈聴きたいという気持ち〉と〈本人がリリースに介在していないものへの不信〉の間でジレンマに苦しむリスナーも多いと思われる。一口に没後作と言っても……(1)本人がその体裁で作品を出そうとしていたかどうか、(2)本人の代わりに誰がOKを出すのか、(3)遺された音源そのものを誰がどれくらい加工したのか……など、シチュエーションによってそれぞれポイントが異なってくるだろう。

例えば、愛されている没後作のひとつとして、ジャニス・ジョプリンの『Pearl』がある。これは全曲の歌入れが終わらないまま彼女が亡くなったために未完成のまま世に出たものだ。また、マイルス・デイヴィスの遺作『Doo-Bop』はそもそもヒップホップのオケでトランペットを吹くという主旨だったために、プロデューサーのイージー・モー・ビーが主役の没後も作業を続けてフィニッシュさせている。こういうふうに(1)が了解事項で関係者が完成させるのなら批判も少なそうだ。逆にジミ・ヘンドリックスやT・レックスは質を問わずに音源集が乱発され、オーヴァーダブなども気軽に行われたためにリスナーの困惑を招いたという。いずれの例も遺族中心の団体が音源を管理することでファンも納得できたようだ。

かといって、ジョージ・ハリソンのように家族が権利者として手を加え(させ)るなら無条件でOKかどうか(家族ならOKというのも無邪気な話ではある)。母親がまとめた2パックの諸作には元の状態で聴きたいという声もあるだろうし、加工しなければ聴けないデモやメモほどのものを世に出すべきかどうか、と思う人も多いだろう。逆にエルヴィスの新作やノトーリアスBIGのように割り切って〈素材〉として楽しまれるならそれもアリだ。マーヴィン・ゲイのように、出典はバラバラでも曲それぞれの存在に意味がある場合もある。つまり、新作という体裁の『Michael』をどう楽しむか、それはリスナーひとりひとりの解釈に委ねられているのだ。個人的には未加工音源集との2枚組で出せば騒動にもならなかったと思うけど……それはまた何年か先にありえるかもね。

 

▼文中に登場した作品を一部紹介。

左から、ジャニス・ジョプリンの71年作『Pearl』(Columbia)、マイルス・デイヴィスの92年作『Doo-Bop』(Warner Bros.)、ジミ・ヘンドリックスの2010年作『Valleys Of Neptune』(Experience Hendrix/Sony)、ジョージ・ハリソンの2002年作『Brainwashed』(Dark Horse/EMI)、2パックの2002年作『Better Dayz』(Amaru/Death Row/Interscope)、エルヴィス・プレスリーの2010年作『Viva Elvis』(RCA)、ノトーリアスBIGの99年作『Born Again』(Bad Boy)、マーヴィン・ゲイの85年作『Dream Of A Lifetime』(Columbia)

インタビュー