NORAH JONES
デビューから10年。23歳だったノラ・ジョーンズも33歳になった。ならばこのタイミングで10年を振り返ってもらうのもいいだろう。そう思いながら、新作『...Little Broken Hearts』のプロモーションで日本に来ていた彼女に会いにいった。まず新作に関することをひとしきり訊いた。ノラはできたての自信作について、にこやかに話していた。そして与えられた時間の半分ちょっとが過ぎた頃合いで、僕は「ところでデビューから10年が経つわけですが……」と、振り返り系の話に切り替えてみた。その刹那、彼女の表情が少し曇った。新作についてのことならいろいろ話したいけど、昔の話は面倒臭い——顔にそう書いてあった。わかりやすい人だ。
ノラは振り返ることが好きじゃない。過去に執着がなく、常にいまいちばんやりたいことを最優先してやってきた人なのだ。ゆえに、趣味的なサイド・プロジェクトの作品も含め、いままで似たようなアルバムをひとつも作っていない。自由に、活き活きと、何にも縛られることなく音楽性の幅を広げてきたノラ・ジョーンズ。その歩みをまとめておこう。
NYで開花した才能
79年3月30日、NY生まれ。父親はジョージ・ハリスンとの深い交流でもよく知られたシタール奏者のラヴィ・シャンカールだ。が、「いっしょに住んだこともないし(註:両親はノラの生まれる前に離婚)、音楽家として尊敬はしてるけど、私が音楽をやるようになったのは母の影響であって、父とは何の関係もないわ」と、デビュー当時のインタヴューで彼女は明言していた。
4歳でNYからテキサス州ダラス近郊のグレイプヴァインに移り住んだノラは、膨大なLPレコードを持っていた母親スーの勧めで5歳のときに聖歌隊に入り、7歳からピアノを始めた。中学の頃から作曲も始め、そこからダラスのブッカーT・ワシントン・ハイスクールに進んでパフォーミングとヴィジュアル・アートを履修。在学中にはダウンビート誌による学生音楽賞で〈最優秀オリジナル作曲賞〉と「最優秀ジャズ・ヴォーカリスト賞〉を受賞している。ノーステキサス大学ではジャズ・ピアノを専攻。友人たちとラズロという(ノラいわく)「ダークでプログレッシヴなジャズ・ロック系バンド」を組み、そこではピアノを弾かずに歌っていた。彼女のなかでピアノよりも歌の比重が大きくなっていったのがこの頃だ。そして大学3年の夏には友人の誘いでNY旅行へ。1か月のバカンスのつもりだったが、多様な音楽が溢れる街の刺激にやられ、「ここならあらゆるものが自分の能力の幅を広げてくれると思った」ノラは、そのまま大学に戻ることなくNYに住むこととなった。
ちなみにノラがリチャード・ジュリアンやジェシー・ハリスと親しくなったのは、まだノーステキサス大の学生だった頃のこと。リチャード・ジュリアンはリトル・ウィリーズでノラと共にヴォーカルを担当しているシンガー・ソングライターだが、ノラにNYでの音楽活動を促したのが彼である。またNYに移り住んでしばらくの間、ノラはジャズ・クラブで歌ったり、ワックス・ポエティックというジャズ・ファンク系のバンドに参加したりしていたのだが、この頃ジェシー・ハリスの作っていたデモテープを手伝ったことがきっかけとなり、友人のリー・アレキサンダーを加えた3人でギグを開始。説明するまでもないが、ジェシー・ハリスはノラの出世曲“Don't Know Why”の作者。リー・アレキサンダーはプロデュースや共作などさまざまな形でノラの3作目までに深く関わり、恋人としても彼女を支えたベーシストだ。その後、リーのジャズ仲間だったギタリストのアダム・レヴィがそこに加わり、ドラマーのダン・リーサーも迎えてバンドへと発展。長きに渡ってノラと活動を共にしたハンサム・バンドの原型がこの時点で出来上がったわけである。
このバンドで録ったデモによって、彼女は2001年にブルー・ノートと契約。前年の10月に2日間行なわれたそのデモ録音の最初にセッションしたのがかの“Don't Know Why”で、一発録りのそれがそのままデビュー・アルバム『Come Away With Me』(2002年)に収められた。その“Don't Know Why”に引っ張られる形でアルバムも時間を要することなくチャートを昇り、2003年のグラミー賞では主要4部門を含む8部門を受賞している。結果、この盤は現在までに世界で2,500万枚を売り上げているわけだが、いまで言うアデルの『21』のような広がり方だったと書けばわかりやすいかもしれない。
クレイジーな状況
ここまで振り返っただけでもわかるのは、直感で〈これが楽しそう〉と思ったらそれをやり、誰かと出会ったらその人に素直に感化されながら進むという、比較的行き当たりばったりなノラの在り方だ。例えばマドンナのように時代への目配りを怠ることなく万全の態勢で勝ちを獲りにいく、そういう意気込みや戦略などはこれっぽっちもない。むしろそういうことをもっとも苦手とするタイプで、ただ自分が楽しんでやれること、いまいちばんやりたいことを優先して進んでいく純粋なミュージシャンなのである。ポップスターじゃないので仕掛けることに興味がない。目立つことにも抵抗があるくらいだ。
ゆえにデビュー作の世界的ヒットによって自分を取り巻く状況が一変したことを、彼女は酷くストレスに感じていた。しかもあのアルバムは、デモ用のテイクと、クレイグ・ストリートの指揮のもとで録音された3曲と、その後に正式録音されたものとを、アリフ・マーディンが上手くまとめたパッチワーク的な作品。ノラいわく「ムーディーな、ちっちゃなレコード」で、それがあのようにデビュー作としては史上最高の部類に入るセールスを記録してしまったことを、ノラは「クレイジーな状況」と考えていたのだった。
それもあってノラは自分を全面に押し出すのではなく、〈バンドのレコード〉を作りたいと考えた。自分はできればバンドの一員というスタンスでありたいと、この頃は思っていたのだ。そうして出来たのが2作目『Feels Like Home』(2004年)で、デビュー後の長いツアーによって息の合ったハンサム・バンドのヴァイブがそこには強く現れた。
バンド最高。自分はあまり目立ちたくないけど、いろんな人といろんな形でいろんな音楽を楽しみたい。そういう思いが一気に噴き出したノラは、この頃からツアー・バンドであるハンサム・バンドのほかにも複数のバンドを結成し、活動の拠点にしているロウワー・イーストサイドのバー、リヴィング・ルームなどでゲリラ的にライブを行なうようになった。カントリー・バンドのリトル・ウィリーズとインディー・ロック系仮装バンドのエル・マドモはアルバムも出したのでよく知られているが、他にもガールズ・カントリー・トリオであるプス・ン・ブーツ、ガールズ・ロック・バンドのスロッピー・ジョーンズ、パンク・バンドのマゼルスなど、さまざまな形でみずからの音楽表現欲求を爆発させていたのである。また以前から積極的だった客演もますます盛んになり、そのように課外活動を楽しむことによって、彼女はデビュー作以降の「クレイジーな状況」から解放された。そしてリー・アレキサンダーとふたりで住むアパートにホーム・スタジオを完成させ、自分たちのペースで音楽作りができる環境を整えたのだった。
そうしてリーのプロデュースのもと、初めてじっくり取り組んで作り上げたのがサード・アルバム『Not Too Late』(2007年)。カヴァー曲多数の初作、バンド・メンバーによる曲多数の2作目と異なり、13曲中11曲がノラの書き下ろし曲(半分はリーとの共作)で、つまりはシンガー・ソングライターとしての開花作となる。彼女自身が言うところの「ぎこちない時期」を経て、ハッキリと自分の意見を持ったうえで完成させた初めてのアルバムだった。
傷みを乗り越えて
自信をつけ、恐れずなんでも挑戦したいモードになっていたノラは、この時期、映画『マイ・ブルーベリー・ナイツ』で初主演を務めたりもするなど、ますます表現のキャパシティーを広げ、それを楽しめるようにもなっていた。だが、外へ外へというモードの彼女とリーとの間に温度差が生じたからなのか、ふたりの公私に渡るパートナー・シップはここで終わりを告げることに。ノラは彼がリーダーを務めるハンサム・バンドの仲間たちとも離れ、新しいプロデューサー、新しいミュージシャンを探しはじめたのだった。
この時、ノラは30歳。過渡期であり、「音楽的にも変化が必要だ」と考えていた。そして敬愛するトム・ウェイツ作品のエンジニアでもあったジャクワイア・キングにプロデュースを依頼し、彼の知り合いや前からいっしょにやってみたいと思っていたミュージシャン……ジョーイ・ワロンカー、マーク・リーボー、スモーキー・ホーメルらと共に『The Fall』を完成させたのが2009年のこと。ソウル的な感覚もあるリズム主体のシングル“Chasing Pirates”などでサウンドの変化を伝え、歌詞はより感情的なものに。髪も短くして〈新しいノラ・ジョーンズ〉を印象付けた。
さて、そこから2年半。デンジャー・マウスとイタリアの作曲家ダニエル・ルッピによる『Rome』(2011年)へのゲスト参加を経て、その際に親しくなったデンジャー・マウスとガップリ組んで作り上げたのがニュー・アルバム『...Little Broken Hearts』だが、ここでも彼女は新しいサウンド表現に心を躍らせている。リーの後に付き合った年下の男性とも別れ、その失恋の痛みが反映されたため、歌詞は極めてダークだが、歌唱表現には艶っぽさも加味された。ガチッと目標を定めて進むより、ある程度の行き当たりばったり感を楽しみながら進んでいくノラは、常に最新作がいちばんおもしろい! 今回もそう思える出来映えだ。
で、「ところでデビューから10年が経つわけですが……。変わったなと思いますか?」という僕の問いかけに対するノラの答えだが。「いろいろ変わったような気もするし、何も変わってないところもあるし。自分じゃわからないわ。そもそも人ってそんなに変わるものかしら?」——これ、実に彼女らしい。恐らくまた10年後に同じ問いかけをしても、この答えが返ってきそうである。
▼デビュー前のノラをフィーチャーした作品。
左から、ワックス・ポエティックの2000年作『Wax Poetic』(Doublemoon)、ピーター・マリック・グループの2000年録音作『New York City』(eOne)
▼関連盤を紹介。
左から、ノラが主演したウォン・カーウァイ監督作品のDVD「マイ・ブルーベリー・ナイツ」(アスミック・エース)、ノラの書き下ろし曲“My Story”も収めた同作のサントラ『My Blueberry Nights』、ノラが6曲でヴォーカルを担当したウイリー・ネルソン&ウィントン・マルサリスのライヴ盤『Here We Go Again』、ノラの客演曲をまとめたコラボ集『...Featuring Norah Jones』(すべてBlue Note)
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