THE BIRTH OF MUTATIONS――クラウト・ロックとは? カンと同時期に次々とドイツに現れた風変わりな面
第二次世界大戦で敗戦した(西)ドイツには、アメリカからさまざまな文化が流れ込んできた。そんななか、クラシック大国だったドイツにとってロックはエキゾティックなもの。そのまま米国産ロックをコピーするミュージシャンが次々と登場したが、先鋭的な面々はドイツ独自のロックを生み出せないかと試行錯誤した(このへんの事情は日本のロック史に通じるところも)。そうして生まれた〈ドイツ産の特殊なロック〉が、ドイツ人の好むキャベツの酢漬け(ザワークラウト)をもじって〈クラウト・ロック〉と海外のメディアから呼ばれるようになる。そのスタイルは多様だが不思議と共通点はあり、また地域ごとにシーンも存在していた。
もっとも地域色が強かったのが産業都市デュッセルドルフで、ここからはクラフトワークやノイ!、クラスター、ラ・デュッセルドルフなど、電子音と反復ビートを大胆にフィーチャーしたバンドが続々と登場。当時、現代音楽で使われるようになったばかりのシンセサイザーは一般的にはキワモノ扱いだったが、クラシックの専門教育を受けて実験音楽に傾倒していたクラフトワークのメンバーは、それを独自のサウンドに消化し、そのスタイルは彼らの周辺ミュージシャンにも影響を与えていった。西ベルリンでは、アシュ・ラ・テンペルやタンジェリン・ドリームといったアート色の強いフリーフォームなバンドが登場。両バンドのドラマーだったクラウス・シュルツェは、電子音楽とクラシックを融合した重厚なサウンドスケープを生み出していく。またミュンヘンでは、アモン・デュールやポポル・ヴーといったヒッピー文化の影響を受けたコミューン・バンドが、サイケデリックなサウンドで神話的世界を彷徨った。もちろん、そうした地域色とは無縁のバンドもいて、サイケ×フリージャズなグル・グルやダダイスティックなアート・ロック集団・ファウストなども強烈なクラウト気質で異彩を放った。
そんな彼らの多くが音楽面では素人同然、あるいはクラシックやジャズ畑の出身者で、だからこそやりたい放題に〈俺流ロック〉に挑戦した。そこには、電子音、反復、実験など共通点を見い出すこともできるが、根底には既成のロックに対する痛烈な反骨精神があったのだ。
▼文中に登場したアーティストの作品を一部紹介。
左から、クラフトワークの74年作『Autobahn』(Kling Klang)、ノイ!の72年作『Neu!』(Gronland)、クラスターの72年作『Cluster II』(Brain)、アシュ・ラ・テンペルの76年作『New Age Of Earth』(Virgin)、タンジェリン・ドリームの70年作『Electronic Meditation』(Ohr)、アモン・デュールの69年作『Psychedelic Underground』(Metronome)、グル・グルの70年作『UFO』(Ohr)、ファウストの71年作『Faust』(Polydor)
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