THE WRITER WHO MADE MPB WITH ELIS――エリスと共にMPBを盛り立てた作家たち
エリスはいわゆる歌い手であり、シンガー・ソングライターではない。よって、彼女のヒットの陰には、才能豊かなコンポーザーが存在する。
第一に挙げたいのがエドゥ・ロボ。エリスが世に出るきっかけは、彼の“Arrastao”を歌った65年のコンテストであり、麦わら帽子ジャケの『Como & Porque』収録曲“Casa Forte”や、『In London』のキラー・チューン“Upa Neguinho”など初期の代表曲も多い。エドゥと同じく世界に羽ばたいたミルトン・ナシメントも、エリスによって〈発見〉されたひとりで、66年に発表した“Cancao Do Sal(塩の歌)”のヒットが作家・ミルトンのデビューを後押し。その後もエリスは、“Vera cruz”(69年)や“Ponta De Areia”(74年)など事あるごとに起用している。同じように、ジルベルト・ジルもエリスが歌った“Louvacao”(65年)の大ヒットで人生が変わった。石鹸会社の会社員だったジルベルトはこれをチャンスと見て退職し、音楽活動に専念。67年のデビュー作ではアルバム・タイトルとして同曲をセルフ・カヴァーしている。他にもカエターノ・ヴェローゾやマルコス・ヴァーリなど同時代の大物たちは、エリスに歌われてステップアップした。
70年代以降も彼女の発掘精神は変わらず、71年にはイヴァン・リンスの“Madalena”、79年にはジョアン・ボスコの“O Bebado E A Equilibrista(酔っ払いと綱渡り芸人)”、79年にはジョイスの“Essa Mulher(或る女)”と、のちにMPBの代表選手となる面々を表舞台に引っ張り出している。いわば、現在のブラジル・ポピュラー・ミュージック・シーンを作り上げたのは、エリスの周りに集まった才能のおかげといってもいいだろう。
MPBの推進とは裏腹に〈ボサノヴァなんて大嫌い〉と公言し、ボサノヴァとは相反するパワフルな歌声を持っていたエリス。しかし、一生を通じて歌い続けた作曲家のひとりがアントニオ・カルロス・ジョビン。74年に発表したデュオ作『Elis & Tom』は2人の代表作であると同時に、ボサノヴァ屈指の名盤でもある。他にもチリの反体制歌手ビオレタ・パラを採り上げたり、ひっそりスタンダード曲を歌っていたりと意外な選曲も多い。
このようにコンポーザーから辿ることで、改めてエリスの奥深さを知ることができる。そして、その楽曲を魅力的に輝かせると同時に、何を歌ってもエリスでしかないという個性の強さも感じさせてくれるのだ。
▼文中に登場するアーティストの作品を紹介。
左から、エドゥ・ロボの65年作『A Musica de Edu Lobo Por Edu Lobo』(Soul Jazz)、ミルトン・ナシメントの67年作『Travessia』(Dubas Musica)、ジルベルト・ジルの67年作『Louvacao』(Philips)、イヴァン・リンスの77年作『Somos Todos Iguais Nesta Noite』(EMI Brazil)、ジョアン・ボスコの79年作『Linha De Passe』(BMG Brazil)、ジョイスの80年作『Feminina』(Odeon/EMI Music Japan)、アントニオ・カルロス・ジョビンの76年作『Urubu』(Warner Bros.)
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