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特集

ASIAN DUB FOUNDATION

カテゴリ : ピープルツリー

掲載: 2013年07月31日 18:00

更新: 2013年07月31日 18:00

ソース: bounce 357号(2013年7月25日発行)

文/大石 始



ゲルマン系やケルト系に加え、アフリカやアラブ各国からの移民も数多く住む多民族国家、イギリス。ジャマイカやトリニダード・トバゴなど旧植民地の国々からの移民たちも多くの割合を占めるが、同じく植民地であったインドにルーツを持つ人々の総数は100万人を越える。なかでも首都ロンドンではインドやパキスタン、バングラデシュといった南アジア出身者とその子孫が白人に次ぐ割合を占めるとも言われている。

エイジアン・ダブ・ファウンデーション(以下ADF)はそうした南アジア系コミュニティーのなかで生まれ、自身の民族的なルーツをジャングルやダンスホール・レゲエ、ヒップホップのフィルターを通して表現してきたバンドである。そんな彼らのスタンスに影響を受けたアーティストは多く、なかでも同じ境遇にあるヨーロッパの移民たちには多大なインパクトを与えた。かつて筆者の取材に対して「ADFのどこが好きかというと、〈未来のトラディショナル・ミュージック〉のスタイルを提示しているところね。彼らのスタイルには憧れたわ」と応えてくれたのは、フランスはマルセイユ在住で北アフリカにルーツを持つワッチャ・クランのカリーヌだったが、こうした例を挙げていけばキリがないほど。ADFのぶっといベースラインは堅苦しい(伝統的な)ワールド・ミュージックでは心を揺さぶられない各国の若い移民たちを鼓舞し、世界中のリスナーに対しては、この地球上にどれだけ多様な音楽が存在しているかを伝えてきたのである。



特定のコミュニティーには留まりたくない

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始まりは93年。アジア系の子供たちに音楽のノウハウを教える民間教育機関、コミュニティー・ミュージックの教師だったDrダス(ベース)を中心に、彼の教え子である当時15歳のベンガル人ラッパー、ディーダー・ザマン(初期の名前はマスターD)らによって結成された。当初はバンド形態ではなく、コミュニティー・ミュージック出身のMCたちがその腕を磨くサウンドシステムの総称だったようだが、その後ダスと共に音楽面でのリーダーシップを取ることになるチャンドラソニック(ギター)が加入。94年にはファーストEP『Conscious』を、翌95年にはファースト・アルバム『Facts And Fictions』を共にネイションからリリースする。同レーベルはUKエイジアン・ムーヴメントの騎手でもあったファン・ダ・メンタルのリーダー、アキ・ナワズが主宰。いわばUKエイジアン新世代の切り札として送り出されたのがADFだったわけだが、2010年に筆者がインタヴューを行った際、チャンドラソニックは意外にもこう話していた。

「彼らとは14年前から疎遠なんだ。実はその頃からできるだけ早くあそこ(ネイション)を出たいと思っていたし」。

『Facts And Fictions』のベースになっているのはヒップホップ、ダンスホール、そしてバングラ・ビートだ。バングラ・ビートはインド北西部~パキスタン北東部のパンジャブ地方の伝統音楽を元に、ディスコやレゲエを採り入れるかたちで70年代後半に確立されたUKエイジアンの音楽。ドールと呼ばれる両面太鼓の強烈なビートとトゥンビ(弦楽器)のフレーズが特徴的で、ADFはそのバングラ・ビートを90年代の感覚でアップデートしてみせた。上記の発言によると、ADFは同じように南アジアのルーツを更新しようとしていたネイションのレーベルメイトたちとは一線を引いていたわけだが、それはすなわち、彼らがファースト・アルバムの段階で〈UKエイジアン〉という特定のコミュニティーには留まらない方向性をめざしていたとも言えるだろう。そのインタヴューで、チャンドラソニックはこんな発言も残している。

「当時、それまでに聴いてきた音楽のなかでいちばんエキサイティングだったのがジャングルだった。ジャングルのドラムはビバップを思い起こさせるところがあるし、アティテュードはパンクみたいだ」。

ファースト・アルバム『Facts And Fictions』では結成当初のサウンドシステム・スタイルを引きずった音楽世界が展開されていたものの、97年の2作目『R.A.F.I.』ではジャングルとバングラ・ビート、UKダンスホール~ダブ、インド古典とパンクが渾然一体となった現在のスタイルを確立。自身のルーツをジャングルの狂乱的なビートにまぶしたその〈未来のトラディショナル・ミュージック〉は、まずはヨーロッパ各地で支持を獲得した。なお、この『R.A.F.I.』は当初フランスのナイーヴからリリース。そのことからもわかるように、初期2枚の段階ではイギリス本国での彼らの支持はあくまでもアンダーグラウンドに留まるものだった。



音楽は物事を考え直させる力がある



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そうした状況に変化が生まれたのは、ロンドンのFFRRと契約し、『R.A.F.I.』の新装版『Rafi's Revenge』が世界的にリリースされた98年以降。なかでも大きかったのが、同作の発表後にプライマル・スクリームのツアーでオープニング・アクトを務めたことだ。彼らの強力なバックアップを得て、ADFの人気は一気に爆発。同年には〈フジロック〉で初来日を果たすなど、着実に活動のフィールドを拡大させていった。

決定的な一枚となったのが、2000年の『Community Music』だろう。自己最高のチャート・アクションを記録した同作は、シングル・カットされた“Real Great Britain”を筆頭に楽曲も粒揃い。初期の彼らの代表作と呼ぶに相応しい出来だ。本作のリリース後、ドール奏者のプリトパル・ラジプットが正式加入。その一方で、バンドのフロントに立ち続けたディーダーが反人種差別運動に専念するため脱退してしまう(彼は2007年にファースト・ソロ・アルバム『Minority Large』でミュージシャン活動を再開。以降もマイペースながら活動を継続している)。そして新たな編成で制作された2003年の『Enemy Of The Enemy』は、On-Uの総裁=エイドリアン・シャーウッドにプロデュースを委ねた心機一転の快作に。On-Uから自身のアルバムも出しているレゲエDJ、ゲットー・プリーストがゲスト参加(後に正式加入)したこのアルバムからは、“Fortress Europe”というヒットも生まれた。

以降、2005年の『Tank』を最後に長年リーダーを務めてきたDrダスが脱退するなどメンバーは流動的ながらも、2008年の『Punkara』、2011年の『A History Of Now』と順調にリリースを継続。特にグライムやダブステップの影響も反映した後者は、チャンドラソニック体制でのADFの最高傑作とも言える内容だ。その後、別項で紹介しているように、Drダスら元メンバーが復帰してニュー・アルバム『The Signal And The Noise』を完成。結成20年目にして、新たな道程へと踏み出そうとしている。



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ところで、本稿では彼らを特徴付けている政治的なメッセージについてほとんど触れなかった。結成当初、サウンドシステム時代のADFが反レイシズムの関連イヴェントでパフォーマンスを行っていたのは有名な話であり、現在まで世界の不平等や政治の腐敗、グローバリズムや管理社会に対する警告を常に叫び続けてきたことは言うまでもない。だが、チャンドラソニックは先ほど引用したインタヴューのなかでこう話してくれたものだ——「自分たちがその時その時で興味のあることに触れているだけなんだ」。

それに続けて彼が語った言葉で本稿を締めよう。

「俺たちが何を言おうと、それはいつだって音楽のなかでのみ。なぜ音楽が好きなのか、自分たちの存在とは何なのかを、俺たちの音楽を聴いて見つめ直してほしいだけさ。基本的なメッセージは〈考え直してみようぜ〉っていうこと。角度を変えて、物事を見ることの大切さだな。音楽はポジティヴなものに成り得るし、人に物事を考え直させる力を持っているんだ」。



▼エイジアン・ダブ・ファウンデーションの作品を紹介。
左から、リミックス&レア音源集『Frontline 1993–1997: Rarities And Remixes』(Nation)、ベスト盤『Time Freeze: The Best Of Asian Dub Foundation』(Labels)、2003年のライヴDVD「Keep Bangin' On The Walls」(ユニバーサル)

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