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ブルース・ディッキンソン(Bruce Dickinson)の歴史的ライヴを検証したドキュメンタリー映画『サラエボの叫び』がBD/DVDで発売

Bruce Dickinson

サラエボ映画祭:観客賞; 人権賞 特別審査員賞(ドキュメンタリー)
シカゴ国際映画祭(アメリカ):最優秀ドキュメンタリードキュメンタリー
DokuArt Bjelovar(クロアチア):Audience Award、若手審査員賞
dokuMfest(ボスニア・ヘルツェゴビナ):ベストドキュメンタリー
ツズラ映画祭(ボスニア・ヘルツェゴビナ):ベストドキュメンタリー 等受賞

「我々の安全は、保障されることなく、無謀だった。勿論、弾丸は本物だったが、とにかく俺たちはサラエボに向かった。」
-ブルース・ディッキンソン(自叙伝『What Does This Button Do』より)

「ギグは、集まってくれた観衆の為、そして、我々自分たちの為におこなった世界最大のショーだった。世界がその事実を知らなかったことは問題ではなかった。それは、自分の人生や死、自分以外の人たちに対する見え方が一変した瞬間だった」
-ブルース・ディッキンソン

 

1992年に勃発したボスニア・ヘルツェゴビナ紛争。ボシュニャク系とセルビア系の武力衝突により、包囲されたサラエボは戦場となった。街は炎に包まれ、多数の民間人や子供の死傷者が出た。そんな状況下であえて危険を冒して、ブルース・ディッキンソンはサラエボのステージに立つことになった。

1994年12月14日、サラエボのボスニア文化センター(BKC)で歴史的ライヴが行われるまでの道のりを、ブルース本人やバンド・メンバー、クルー、現地主催者、ファンなどが振り返る。

1993年にアイアン・メイデンを脱退、ソロ・アーティストとして本格的な活動を始めたブルースはアルバム『ボールズ・トゥ・ピカソ』(1994)に伴うライヴ公演の一環として、サラエボに赴く。空路は撃墜される危険があるため、陸路で現地入りする厳戒下、ショーは行われる。

不可能といわれたサラエボ公演への旅路で流れるのは、ブルースのソロとしての軌跡を彩るナンバーの数々だ。「ティアーズ・オブ・ザ・ドラゴン」、「ロード・トゥ・ヘル」、「ゴッズ・オブ・ウォー」、「エターナル」までがサラエボの美しい風景や、廃墟となった市街と相乗効果を成す。サラエボでの経験を描いた「イナーシャ」の使い方も効果的だ。本作は彼がソロ・キャリアで発表してきた音楽に新たな光を当てる作品でもある。

プロフェッショナル機材によるライヴ・レコーディングが行われなかったこの公演だが、ステージ脇とバルコニーからのフッテージも収録されている。「ただのライヴではなかった。バンドとオーディエンスが与えあう、特別な経験だった」とブルースが語るとおり、ブルースの熱唱と呼応する約千人の観衆のエネルギーがお互いを高めあっているさまが伝わってくる。

そして本作の終盤、ブルースは21年ぶりにサラエボを再訪する。今や現地で伝説となっているライヴに参戦、同じ空間を共有したファンと再会し、語らい合うシーンは、胸を打つものだ。

さらに特典映像として、30分近くにわたるブルースへのインタビューを収録。サラエボ公演の思い出と、それが彼に及ぼした影響などについて語っている。

日本盤限定ボーナス映像
日本語解説書封入
日本語字幕付き

タグ : ハードロック/ヘヴィメタル(HR/HM)

掲載: 2018年08月02日 16:26