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「最初はグー」を考案したのは志村けん!?特番放送前に振り返りたい志村けんの伝説級エピソード

我が師・志村けん 僕が「笑いの王様」から学んだこと

2020年、惜しまれながら亡くなった志村けん。亡くなって以降も志村けんの笑いは色褪せることなく、今年2月24日には「国民が選ぶ!志村けんの爆笑ベストコント30」の放送が決定した。

芸人としての功績はもちろんのこと、プライベートでも伝説的エピソードを持つ志村けん。特番の放送前に、改めて志村けんの“凄さ”を振り返っていきたい。

●志村けんが遺した伝説級のエピソードたち

2016年のバラエティ番組「胸いっぱいサミット」では、大物芸能人たちの神対応を紹介するコーナー「東西大物芸能人神対応列伝!!」と題した企画を放送。そこで紹介されたエピソードで、志村けんの懐の深さが分かる話がある。

ある日、志村けんの元に売れない若手芸人が「娘が病気で300万円の治療費が必要なんです」と泣きついてきたことがあった。若手芸人に対して「出世払いで返してくれればいいから持っていけ」と、希望額を遥かに超える1,000万円を用意して渡した志村けん。しかしその後「娘の病気」は嘘だったことが発覚してしまう。そのとき志村けんは、「なんだ、娘さん無事なの?良かったなぁ、ホッとした…」と相手を責めなかったという。

また志村けんの羽振りの良さは有名で、中山秀征は「何千万おごってもらったか分からない」と番組で語っていたことがある。さらに中山秀征が志村けんのお腹が出てきたことを指摘した際は、「馬鹿野郎、(お腹に)いくらかけてると思ってるんだ」「何億かけてるかわからない」と言うなど、豪快なエピソードは枚挙にいとまがない。

「アイーン」や「だいじょうぶだぁ」など、数々のギャグやブームを生み出してきた志村けん。有名どころとしては、じゃんけんの「最初はグー」の発案者でもある。発端は、飲み代の支払いをジャンケンで決めようとした際のこと。飲み仲間全員が酔っ払っていてタイミングがなかなか合わなかったため、「最初はグーで合わせよう」と志村けんが考案。その後テレビでも披露され、日本中へ一気に浸透していった。

そんな志村けんの付き人であり“弟子”であった乾き亭げそ太郎が、リアルな志村けんの姿を綴った書籍が『我が師・志村けん 僕が「笑いの王様」から学んだこと』。テレビで見せるイメージとは異なり、プライベートでは言葉少なで人見知りだったという志村けん。自身の笑いの哲学を語ることは少なかったものの、付き人に見せていた懐の深さやお笑いに対する真摯な姿勢を垣間見ることができる。「笑いの王様」の実像を知ると、親しみ深いコントを見る視点も変わってくるに違いない。


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タグ : レビュー・コラム

掲載: 2025年01月24日 14:30