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第119回 ─ 愛したものへの思いに溢れる、パティ・スミスのポエトリー・リーディング

連載
久保憲司のロック千夜一夜
公開
2008/08/14   20:00
テキスト
文/久保 憲司

「NME」「MELODY MARKER」「Rockin' on」「CROSSBEAT」など、国内外問わず数多くの音楽誌でロック・フォトグラファーとして活躍、さらにロック・ジャーナリストとしての顔も持つ〈現場の人〉久保憲司氏が、ロック名盤を自身の体験と共に振り返る隔週コラム。今回は、パティ・スミスとケヴィン・シールズ(マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン)の共演ライヴを収録した2枚組『The Coral Sea』について。

 詩が大好きだ、なんて書くと17歳の乙女みたいで嫌なんだけど、好きなのだ。子供の頃はランボーやラディゲやコクトーをよく読んでいた。なんでフランスの詩人ばかりだったのだろう。日本語の詩は、何かかっこ悪いような気がしてあまり読まなかったし、英語を使う詩人にも、好きな人があまりいなかったような気がする。何故か知らないが、当時はフランスが一番と思っていたようなのだ。でも、フランス語の詩を日本語で読んでも仕方がないかなと思ってから、詩の世界に対する興味はなくなっていった。

  パティ・スミスも工場で働いていた時、昼休みにランボーの詩集を読んでいたそうだ。その詩集はペーパーバックで、片方にフランス語の原文、もう片方に英語の訳が載っていたらしい。この話を聞いた時にぼくは「いいな」と思った。こういう本があれば、ぼくももっと詩の世界に没頭出来たのにと思う。

その後、ジム・モリソンのポエトリー・リーディングを収めた『An American Prayer』や、ウィリアム・バロウズとカート・コバーンの共演作である『The "Priest" They Called Him』(これはブック・リーディングですが)、そしてパティ・スミスの朗読を聴くようになって、英語の詩もかっこいいなと思うようになりました。

  それらを聴いて、詩って、とても肉体的だなと思ったのです。外国の小説も凄く肉体的な気がします。海外では作家が宣伝のために、小説の一部を朗読する講演をやっていますけど、あれって英語が分からなくても、凄くいい。ウィリアム・バロウズの小説はどこかぐちゃぐちゃで分かりにくいですが、バロウズのドキュメンタリー映画で彼のブック・リーディングを字幕付きで聴いたら、バロウズのリズムが分かったような気がして、小説の方も読めるようになったんです。

バロウズは「パティ・スミスは詩人としてスタートして、それから絵画に転向し、そしていきなり本物のロック・スターとして登場した。不思議だったね。というのは、私は彼女が詩人としても物書きとしてもそれほど大成は出来まいと思っていた。基盤が何もないからね。だが、いきなり彼女はロック・スターになっていた。間違いなく、本物のロック・スターにね」なんて言っていたけど、パティは外国の詩人のなかでも別格なんじゃないでしょうか。初期の頃はノートに書いた詩を読み上げながら、読み終わったところは破って捨てていったり、ちょっと詩を読み上げてから、「アッ、忘れちゃた。でもいいわ、ここで作る、構いやしない」とやってみたり、それはそれはかっこよかった。

  そんな詩人が日本にいるのでしょうか。そもそも海外にもほかにいるんでしょうか? リディア・ランチやキャシー・アッカーみたいな人はいたけど、彼女たちはすべてパティの流れの上で出てきただけでしかない。もちろん、パティの詩も、その元をたどればジム・モリソンなんかに行き着くものだと思う。でもパティの詩でいいなと思うのは、ジム・モリソンやキース・リチャーズなど、彼女が愛したものへの愛で溢れているところ。それはジム・モリソンが、インディアンのシャーマンになろうとしたのと、一見似ているようで全然違う。ジム・モリソンのそういう詩は、男性的な何かになりたいという思いなのかもしれないが、パティ・スミスの場合はとっても女性的で、そのなかでの彼女は、ファンのようであり、母親のようであり、彼女のようなのだ。

  そんなパティにとって、かつての恋人であり、アーティストになろうと頑張っていた頃の同士であり、兄弟のようでもあった、美しく偉大なアーティスト、ロバート・メイプルソープ。89年3月9日、エイズのために亡くなった彼に捧げた詩集「The Coral Sea」を朗読したものが、今回のアルバムだ。そこにマイ・ブラッディ・バレンタインのケヴィン・シールズが、エフェクターをガンガンつなげた、ほとんどキーボードかギター・シンセのようなギターを弾いている。プログレ好きの人にもこのギターは何だと思わせるんじゃないだろうか。

2枚組の今作には、2005年と2006年の公演が収められているんだけど、ぼくは2005年の方が、初期の彼女みたいな声がしていて好き。2006年の方は、いままでのパティにはないソフトな声質で「オッ」と思う。とても長い朗読なんで、アドリブなどは入れずに、声の質だけを変えて2度の公演に挑もうと思ったのかな。気になるところだな。詩集の方の「The Coral Sea」を買って、単語を追いながらもう一度ちゃんと聴いてみたいと思う。