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第6回――突然段ボール

連載
その時 歴史は動いた
公開
2009/08/26   18:00
ソース
『bounce』 313号(2009/8/25)
テキスト
文/岡村 詩野




筆者がまだ20代前半の頃、突然段ボールにインタヴューをさせていただいた時のことはいまも忘れられない。ちょうど91年作『抑止音力』の時だったが、音楽からは想像もできないほどお二人は温厚で朗らかで、自分たちの音楽がどのように成り立っているのかを実に丁寧に話してくださった。そういうこともあり、蔦木栄一・俊二兄弟によって77年に結成された突然段ボールは、少なくとも筆者にとってはいまもなお日本を代表する前衛ロック・バンドであり、日本人らしい穏やかさを秘めた知的な音楽家という印象だ。

最初の正式音源は、80年にPASSから発表されたシングル『ホワイトマン/変なパーマネント』。その後、グンジョーガクレヨンとのスプリットEP『pass live』をリリースしたりUSのコンピへの参加などを経て、81年にファースト・アルバム『成り立つかな?』をリリースする。同じアンダーグラウンドでの活動でも、少し前に登場していた東京ロッカーズ周辺のアーティストとは違い、より前衛/即興音楽からの影響を受けていた彼らは、その後もヘンリー・カウのギタリストとの『フレッド・フリス&突然段ボール』(82年)、即興サックス奏者との『ロル・コックスヒル&突然段ボール』(83年)なども発表し、81年に立ち上げた自主レーベル=FLOORを通じてアヴァンギャルドと言われるような音楽の入口を広く開いてゆく。89年にはTV番組「いかすバンド天国」に出演もしたが、その後に今回の〈その時〉が訪れる。91年にWAXから久々のアルバム『抑止音力』をリリース――この時、彼らはアンダーグラウンドのシーンで確固たる存在となったのだ。若い世代への影響力も強め、90年代以降はOZディスク周辺やたま、PANICSMILEのメンバーらとも交流を結ぶようになる。そんななか03年8月25日、兄の栄一が肝不全で急逝――大きな衝撃を与えたものの、その後も途絶えることなく、弟の俊二を中心としたバンド編成でいまも活動中だ。

難しいとされる前衛系音楽に取り組み、海外のマイナーなアーティストの招聘、共演もいち早く実践してきた彼らが耕してきた土壌の上に、今日のさまざまなアンダーグラウンド・ミュージックがある。だが、彼らはそれを最初からめざしていたような野心家ではなかった。あくまで描いているものは大衆音楽。その目線の低い純粋で柔軟な姿勢は、突然段ボールのこれまでの作品群が物語っている。

 

突然段ボールのその時々



『ホワイトマン/変なパーマネント』 PASS/WAX(1980)

あまりに飾り気のない3人の写真をあしらったジャケが、いまなおインパクトを放つファースト・シングル(96年にリイシュー)。ベーシストの渡部紀義とのオーソドックスなトリオ編成ながら、剥き出しなままのヴォーカルと突拍子のない展開の演奏との組み合わせが、居心地の悪さという名の快楽をもたらす。

 

『成り立つかな?』 PASS/WAX(1981)

初のフル・アルバム(リイシュー盤には未発表曲を6曲追加)。ベーシストの脱退でスカスカな演奏になったが、表情は何ともユーモラス。アントニオ・カルロス・ジョビン〈イパネマの娘〉やヴィニシウス・モラレスのカヴァーなど、ミニマル・ブラジリアンといった趣もあって斬新だ。“選択と配列”はその後、湯浅湾が取り上げている。

 

『抑止音力』 WAX/Pヴァイン(1991)

北朝鮮の核実験が着々と繰り返されるいまこそ聴かれるべき一枚。打ち込みゆえの不気味な破壊力を持ったハンマー・ビートと、どこかシニカルさを伝える飄々とした風情のアレンジ、既成概念と真っ向から対峙しようとする言葉。何もかもが意思を持って鳴らされている。ロック・ミュージックの持つアゲインストな姿勢を、核兵器の抑止力になぞらえた傑作中の傑作。〈くだらねえ〉を連呼する“夢の成る丘”、ファンクなギター・リフが空気を切り裂く“視力の限界”……全10曲、とてもモダンで洒脱だ。

 

『D』 PASS/Pヴァイン(2008)

兄・栄一の死後、初となるオリジナル・アルバムにして最新作。自嘲的なまでにユニークな風合いはそのままに、ロック・バンドとしての強さや、キャリアを重ねてきたことによって身に付いたような無骨さが無理なく全体を覆っているのが良い。ミックスを手掛けているのがジム・オルークというのも特筆すべき点だろう。

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