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KAGAMI'S DISCO MUSIC ALL NIGHT LONG テクノに愛されし者よ永遠に

連載
Y・ISHIDAのテクノ警察
公開
2010/07/29   18:28
更新
2010/07/29   18:28
テキスト
文/石田靖博

 

長年バイイングに携わってきたタワースタッフが、テクノについて書き尽くす連載!!

 

90年代のテクノ黄金期を体験したテクノ紳士&淑女の大多数は、 いわばテクノ専門学校(設立:電気グルーヴ)の卒業生であった(ほぼ断言)。その卒業生のなかでも、そのままテクノ専門学校の教員――または電気ファミリー――入りしたKAGAMIに対する一般卒業生の思いは複雑なモノであった気がする。その複雑な気持ちを簡潔にまとめるなら、嫉妬と羨望なのだろう。

まずは嫉妬について。『Y EP』(95年)で日本テクノの象徴=フロッグマンから華々しくデビューし、アルバム『BROKEN SEQUENCER』(98年)で大ブレイク。それと前後してまりん(砂原良徳)脱退後の電気のアルバム『VOXX』(98年)に参加し、そのままライヴのサポートに登用。そして、KAGAMIの代表作であり、いまなお燦然と輝く大名曲“Tokyo Disco Music All Night Long”(2000年)をリリース。その年の〈WIRE〉では何回もプレイされるアンセムとなる……。この、テクノ・ドリームとしか言いようのない経歴。これを嫉妬せずに見ることができただろうか。

そして羨望について。もともと卓球、田中フミヤ、ケンイシイなどテクノ第1世代(とあえて呼ぶ)、そして大多数のテク専卒業生と、KAGAMIやDJ TASAKAなどに代表される第2世代との最大の違いは、何かを〈こじらせている〉――もしくは、現状に何らかの不満なりコンプレックスを抱えているかどうか――という点であろう。YMO、ニューウェイヴ、ガロなどアングラ・カルチャー(いわばサブカル)など、〈こじらせ〉の殿堂だった卓球。もともとパンク的アティテュードの持ち主だった(いちばん最初に見た時はセディショナリーズのTシャツを着ていた)フミヤなど、第1世代(とテク専卒業生の多く)は何かをこじらせた結果、テクノに辿り着いた面々であり、ゆえにテクノ=自意識の発露であったのだ。

しかし第2世代は、特にKAGAMIは良い意味で自意識(言い換えると批評性、もっとザックリ言えばカッコつけ)から解放された、非常に自然体なテクノをやっている感じがしたのだ。だからこそ“Y”における西城秀樹“YOUNG MAN(Y.M.C.A.)”の〈ワーイ〉の部分のループという反則的なネタ使いや、盟友DJ TASAKAとのDISCO TWINSによるアルバム『TWINS DISCO』(2006年)における吉川晃司(後にはDISCO K2 TWINSとしての活動まで!)との共演という、純テクノ的視点ではあり得ない荒技もカマせたのだろう。それなのに、ハード・ミニマル的アタックの強さと、ダンサブルでしかないディスコ・テイストを湿気ゼロ地点で融合させた極上のトラックを、つまり、卓球以降脈々と連なるジャパニーズ・テクノの一つの完成型をKAGAMIは聴かせてくれたのだ。

大げさに言うのなら、KAGAMIは、テクノに〈愛されていた〉存在だったのだ。そんなKAGAMIの旅立ちに、湿った言葉やありがちな追悼、感謝の言葉は要らないだろう。テクノ紳士&淑女の作法としては、いまいる場所がどこであっても、自分なりの“Tokyo Disco Music All Night Long”をやればよいのだ。フロアで、部屋で、スピーカーで、ヘッドフォンで、ずーっと盛り上がり続ける――これがKAGAMIへの追悼であり、テクノ専門学校卒業生としての矜持なのである。

 

▼文中に登場したアーティストの作品

 

PROFILE/石田靖博

クラブにめざめたきっかけは、プライマル・スクリームの91年作『Screamadelica』。その後タワーレコードへ入社し、12年ほどクラ ブ・ミュージックのバイイングを担当。少々偉くなった現在は、ある店舗で裏番長的に暗躍中。カレー好き。今月のひと言→連載のタイトル(Y.ISHIDA)の元ネタであるY.SUNAHARAこと砂原良徳の新作は最高です! そして〈ラブパレード〉の事故で亡くなったテクノ者たち、そしてプロ鬼畜・村崎百郎氏にR.I.P.。