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僕らと同じ視線で苦しみ続けるロックスター、R.E.M.

連載
久保憲司のロック千夜一夜
公開
2011/03/09   18:02
更新
2011/03/09   18:23
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文/久保憲司

 

ロック・フォトグラファーとして活躍、さらにロック・ジャーナリストとしての顔も持つ 〈現場の人〉久保憲司氏が、ロック名盤を自身の体験と共に振り返る隔週コラム。今回は、USを代表するオルタナティヴ・ロック・バンド、R.E.M.のニュー・アルバム『Collapse Into Now』について。彼らはロックスターでありながら、僕らと同じ視線で苦しみ続けている――。

 

R.E.M.の新作『Collapse Into Now』、いいんじゃないでしょうか。いちばん最初に発表された“Mine Smell Like Honey”では初期に戻った感じになるんじゃないかと思っていたんですけど、全然違いましたね。いままで何回も言われてきた〈これまでのR.E.M.を全部合わせた感じ〉というのを、今度こそ本当にやったんじゃないでしょうか。大満足です。初期のファンも『Out Of Time』以降のファンも満足させてくれるアルバムなんじゃないでしょうか。

僕は“Uberlin”が涙、涙でした。朝起きて、朝ご飯食べて、地下鉄に乗ってという日常を淡々と歌いながら、誰もが感じる〈このままじゃ駄目だ、何とかしないといけない〉という日々の苛立ちをマイケル・スタイプは見事に歌にしてくれています。何千万枚もCDを売っているロックスターに日常を生きていく辛さを歌われても、本当は嫌味なだけなんだけど、R.E.M.だけは別なんです。僕がずーっとR.E.M.を聴き続けるのはこれなんですよ。彼らはずっとロックスターにならなかったのです。僕らと同じ視線で苦しみ続けているのです。カート・コバーンが遺書を書いている時に『Automatic For The People』を聴いていたのは、そういうことをやり続けられたR.E.M.への憧れだったんだと僕は思います。バンドがデビューしてからも、ギターのピータ・バックは地元アセンズのレコード屋でバイトというか、普通の感覚をなくさないために店に出ていました。バイト代としてレコードを貰っていたそうなので、真剣に働いていたんじゃないと思いますが、僕はそういうところが好きです。

もう10年近く前になりますが、NYのイースト・ヴィレッジのレストランの前で酔い潰れているマイケル・スタイプも見たことがあります。一人で酔い潰れていたんじゃなく、友達がすぐに横にいて〈次はどこの店に行く〉という感じで立ち話をしていたんですけど。普通そういうのを見るとロックスターだなと思うんですけど、僕はその時、〈マイケル大変だな〉と友達を思うように見てました。〈ゲイだから辛いのかな。有名人じゃなければ、普通のゲイみたいにハッテン場とかで楽しく遊べるのに、マイケル・スタンプだと遊べないよな。だからあんなに酒飲んで酔い潰れるのかな。他の友達は誰一人あんなに酔っぱらっていないのに〉なんて思ってました。ガス・ヴァン・サントとかトッド・ヘインズなどの映画監督は都会に住まず、田舎でゲイ・ライフを満喫してると聞きます。映画監督だと、そんなに顔も割れていないから、すごく楽しいらしいです。

すいません。関係ない話をしてしまいました。本当はR.E.M.と南部ゴシックの話を書こうかなと思ったんですけど、南部の〈敗北の大義〉が持つ英雄的精神や道徳性への信頼、そういうものがR.E.M.にはある。だから彼らはアメリカを代表するバンドとなったのだ――みたいなことを書こうと思ったのですけど、僕には難しいですね。ウイリアム・フォークナーもテネシー・ウィリアムズもちょっとしか読めずに挫折していて、唯一完全に読んでいると言えるのは、トルーマン・カポーティくらいですから。お恥ずかしい。

とにかくR.E.M.の新作、すごくいいんです。パティ・スミスが歌っている曲もいい。ピーチズが歌っている曲もR.E.M.とB-52'sがいっしょにやっているようで嬉しいです。そして、僕は近いうちにジョージア――行ったことのないアメリカの南部に行こうと思います。行ったからといって自分の日常から離脱できないというのはよくわかっているけど、でもR.E.M.の歌が少しでもわかるようになったら、人生楽しいと思います。

 

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