彼らが作らずして、誰がこんな作品を作るんだ?——約3年ぶりに届けられた待望のシングルに悶絶!!!!
いきなり断言するが、マキシマム ザ ホルモンは日本の音楽シーンの至宝である。彼らが多くの〈腹ペコ(ファン)〉たちの胃袋を満足させ続けてきたのは、メタリックでヘヴィーでハードコアなサウンドをベースにしながら至極キャッチーな楽曲を仕立てる抜群のポップセンスを武器に、高いエンターテイメント性と無尽蔵のヴァイタリティー、音楽への飽くなき探究心と妥協なき姿勢、そして遊び心満載の少年性を持ち続けているからに他ならない。
デビュー以来、〈止まったら死ぬ(by 間寛平)〉的な勢いでライヴを重ね、2006年に発表したマキシ・シングル『恋のメガラバ』や2007年作『ぶっ生き返す』ではお茶の間までをも引っ掻き回し、日本を代表するロック・バンドのひとつに数えられるようになった後も、彼らは前傾姿勢を一切崩していない。常に〈それやっちゃダメ!〉というギリギリのラインを乗り越える衝撃と、期待を大幅に上回る素晴らしい音楽を与え続け、腹ペコたちはみるみる増えていく。ホールクラスの公演も行いつつ、突拍子もない観戦条件を付けた自主企画〈地獄絵図〉シリーズのような小規模のキャパでライヴを行うなど、その活動ぶりはまさに痛快の連続。彼らがブレイクしてもなお、古参の腹ペコたちからも支持されているのは当然であり必然なのだ。
そして、そんな彼らが約3年ぶりに放ったトリプルA面シングル『グレイテスト・ザ・ヒッツ 2011〜2011』を紹介しよう。人を喰ったようなリリースの告知方法(詳しくはオフィシャルHPを参照)、マキシマムザ亮君が〈BUBKA〉で連載していたコーナーの特別冊子をはじめとした1292円(胃痛苦痛)という価格では考えられないほど贅沢な特典、クォリティーの高いサウンドかつさまざまな意味でショッキングな内容となったライヴ仕様の楽曲——ここまでされたらもう笑うしかない。久々であろうが、メンバーが家庭を持とうが人の親になろうが、そんなことは関係ない。2011年のマキシマム ザ ホルモンも憎らしいほどマキシマム ザ ホルモンだった。
まずは、薄っぺらい応援ソングが溢れるいまの日本で、本当に求められているリアリティーを感じられる“鬱くしき人々のうた”。彼ら流の愛とメッセージが溢れるこの曲は、本人が意図したかどうかはわからないが、〈厳しい現実から目を背けるんじゃない。這いつくばっても真正面から見据え、少しずつでも顔を上げろ〉と教えられたような気がする。またセルフ・タイトルとなる“maximum the hormone”は、彼らのライヴが持つ攻撃性とダイナミズムを存分に味わうことができる一曲。その押し寄せるようなサウンドとプリミティヴなグルーヴに脳髄を刺激され、血が沸騰してしまうはずだ。頭を空っぽにして暴れ狂う——ライヴハウスで繰り広げられる、そんな美しい光景が目に浮かぶ。さらに、性に目覚めた中学生が考えそうなことを最高のロックへと昇華させた“my girl”には、爆笑を通り越して畏怖の念すら覚えたりも。〈遊び心満載の少年性〉と先に述べたが、これこそが彼らの真骨頂。悪ふざけを音楽という芸術にまで高めるのは偉大なるロックの先人たちがやってきたことだが、その伝統を一子相伝で受け継いだバンドだからこそなせる技だと言えるだろう。
このように、3曲すべてが濃厚にして痛快で、〈トリプルA面シングル〉と銘打たれたのも頷ける。これを〈グレイテスト・ザ・ヒッツ 2011〜2011〉と呼ばずして、何を〈グレイテスト・ザ・ヒッツ 2011〜2011〉と呼ぶ? マキシマム ザ ホルモンが作らなければ、こんな作品を誰が作ると言うのだろうか?
▼マキシマム ザ ホルモンの作品を紹介。
左から、2002年作『耳噛じる』、2004年作『糞盤』(共にミミカジル)、2005年作『ロッキンポ殺し』、2007年作『ぶっ生き返す』、2008年のシングル『爪爪爪/「F」』(すべてバップ)