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第35回――初恋の嵐

連載
その時 歴史は動いた
公開
2012/06/27   00:00
ソース
bounce 345号(2012年6月25日発行)
テキスト
文・ディスクガイド/岡村詩野


初恋の嵐_A

初恋の嵐の中心人物、西山達郎が急逝してから今年で実に10年。間違いなく00年代を牽引する存在になると言われたバンドのリーダーの突然すぎる死がどれほど衝撃だったかは、当時を知らない人も想像に難くないだろう。だが、〈初恋の嵐〉というロマンティックな名前を持つこの3人組は、そうした安っぽい感傷のなかで生きる存在などではない。そう、いまなお彼らの歌は逞しく生きているのだ。

97年、兵庫県出身の西山達郎(ヴォーカル/ギター)を中心に大学の仲間同士で結成。だが、それとは別に西山がヒップゲローの玉川裕高らと組んだカントリー・ロック・バンド、コモンビルでの活動が活発になったこともあり、99年に初恋の嵐は一旦解散している。そして翌00年に再結成し、同年12月にインディーから初のミニ・アルバム『バラード・コレクション』を発表した。奇を衒わないメロディーと、少々の翳りを帯びた歌詞、歌に寄り添った演奏はすぐさま話題となってライヴの動員もうなぎ上り。メンバーも西山に隅倉弘至(ベース)、鈴木正敏(ドラムス)の3人に落ち着いた。そして、メジャー各社による争奪戦の末、ユニバーサルと契約し、デビューに向けて着々と準備を重ねていたまさに〈その時〉、順風満帆だった彼らの未来は突然容赦なく奪われてしまう。

それは日本における音楽シーンの歴史にとっても大きな損失だった。02年3月2日、西山達郎が急性心不全で死去。弱冠25歳だった。だが、残されたメンバーは解散という道を選ばず、大勢の仲間の力を借りてすでに予定されていたライヴを敢行。制作途中だったアルバムも完成させ、8月21日に『初恋に捧ぐ』としてリリースした。待たれた初恋の嵐のメジャー・デビューは、フロントマン不在というあまりにも悲しいものだった。

だが、彼らが残した楽曲は死すことはなかった。その後バンドとしての活動は行われていなかったものの、昨年秋に〈初恋の嵐with friends〉として久々にライヴで復活。そこには隅倉、鈴木のほかに曽我部恵一や堂島孝平、メレンゲのクボケンジらがヴォーカリストとして参加した。以降、ライヴ活動も活発に行っているなか、今年に入ってスピッツが 初恋に捧ぐ をカヴァーして話題となったほか、このたび『初恋に捧ぐ』がリマスタリングされて新たにリリース。さらに、夏に向けてフェスやイヴェントへの出演が続々と決定している。

高野寛にほんの少し似た素顔の西山達郎は、関西人らしくラフで気の置けない青年だった。どこで会っても気軽に声をかけてくれたが、いま、彼が生きていたらこの日本でどんな歌を歌っているだろうか。

 

初恋の嵐のその時々



初恋の嵐 『バラードコレクション』 MULE(2000)

インディーからリリースされた初のミニ・アルバムは、まだ隅倉が加入する前の録音。彼らがリスペクトしていたサニーデイ・サービスに渋味と粘り気を加えたような、男臭いロックが楽しめる。特にギター・リフなどは70年代のニール・ヤングからの影響が強い。

 

初恋の嵐 『初恋に捧ぐ プラス』 ユニバーサル(2012)

2002年発表の唯一のフル・アルバムがリマスタリングされ、ストーンズ風の未発表曲“Body & Soul”も聴けるスタジオ・ライヴなどを収録したディスクとの2枚組で登場。メジャー・デビュー作らしく華やかで躍動的な仕上がりだが、追加音源を聴けば英米のオールド・ロックをしっかり聴き込んだ、案外ロックでブルースなバンドだったことに気付かされる。

 

サニーデイ・サービス 『東京』 ミディ(1996)

緩やかなグルーヴを醸し出すテンポ感や、繊細さと豪快さが共存した歌などに曽我部恵一からの影響が。実際、ステージで共演するなど直接の交流もあり、西山の逝去後に行われたライヴには曽我部も参加した。ドラムの鈴木は一時期サニーデイのサポートを務めていたこともある。

 

スピッツ 『おるたな』 ユニバーサル(2012)

同じレーベルの先輩後輩であり、〈日本語のイイ歌〉を聴かせるバンド同士であり。そんな共通点があるからか、カヴァー曲を数多く含む本作のなかで、“初恋に捧ぐ”をパワー・ポップ調の原曲を崩さず忠実に再現。草野マサムネの歌唱力によって西山の書くメロディーの強さが引き立っている。