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第43回――レベッカ

連載
その時 歴史は動いた
公開
2013/03/20   00:00
ソース
bounce 353号(2013年3月25日発行)
テキスト
文・ディスクガイド/久保田泰平


レベッカ_A



海の向こうでは、コケティッシュなマテリアル・ガールが〈まるでヴァージンのようだわ〉と歌いながらスターダムに躍り出た80年代中盤。その頃、ティーン・アイドル全盛だった日本のミュージック・シーンにも、それまでにない魅力を備えたニュー・ヒロインが誕生した。名前はNOKKO。ロック・バンド、レベッカのリード・ヴォーカリストだ。そのレベッカの曲がヒット・チャートを駆け上がり、TVなどを通じてお茶の間に届けられるようになった〈その時〉、日本のロック・シーンに新たな1ページが刻まれることになる。

レベッカは、ギターの木暮武彦が中心となって82年に結成され、84年春にシングル ウェラム・ボート・クラブ でメジャー・デビュー。しかし、85年1月に方向性の違いから木暮が脱退(85年に田所豊a.k.a. ダイアモンド☆ユカイらとRED WARRIORSを結成)。代わって土橋安騎夫(キーボード)がリーダーとなってからは、鍵盤を前面に出し、エモーショナルでメロディアスな持ち前の作風からポップな要素をより際立たせていった。85年春にマドンナ"Material Girl"さながらのポップ・フィーリングを携えた ラヴ・イズ・Cash をリリースした彼らは、続く フレンズ をオリコン週間チャート3位に送り込み、その後も"RASPBERRY DREAM""LONELY BUTTERFLY""MOON"などヒット・シングルを量産。 フレンズ 以降に発表されたアルバムすべてがオリコン1位を記録するなど数々の栄光を残し、91年2月に活動を休止する(00年に再始動)。

レベッカが絶大なる支持を集めた理由、そのひとつは、歌謡曲、さらには(当時、若年層にも普及しはじめていた)カラオケをたしなむリスナーにも訴求するメロディー・センスを持っていたことと共に、ロックの興奮/昂揚感が得られること、そしてNOKKOというセクシー・アイコンの存在が大きかった。コケティッシュでエッジーなキャラクター、センシティヴな少年少女たちの心を揺さぶる彼女が書いた歌詞は鮮烈であり、パンクだった。また、当時の日本では男性所帯に女性ヴォーカルというバンド編成がまだ珍しく、レベッカのブレイクをきっかけに同様のバンドが増え、そのなかにはもちろん多くのコピー・バンドも存在していた。函館で彼らのコピーに励んでいた少女が、やがてJUDY AND MARYというバンドを組み……というのは有名な話だが、レベッカ並びにNOKKOの遺伝子は、いまやソロ・アーティストとして成熟したYUKIや、次なる〈事変〉を企てているであろう椎名林檎など、圧倒的な個性を持った女性たちの活躍などからもキャッチすることができるだろう。

 

レベッカとその時々



レベッカ 『REBECCA IV〜Maybe Tomorrow〜』 FITZ-BEAT/ソニー(1985)

出世曲“フレンズ”を収録した通算4枚目のアルバム。土橋安騎夫のキャッチーなソングライティング、アウトローだけどデリケートなヒロイン像を映し出したNOKKOの歌詞をチャームとするその楽曲群は、お茶の間のリスナーからお茶の間に帰りたがらない反抗期の少年少女たちまでを惹きつけ、初のオリコン・チャート1位を獲得した。

 

NOKKO 『NOKKO'S SELECTION, NOKKO'S BEST』 ソニー

92年のソロ・デビュー後はその個性を次々と刷新していった彼女。特に、UKを拠点にする面々が多く参加した93年作『I Will Catch U.』やDJ視点での歌謡曲再評価に反応した94年の『colored』がハイライトだ。本ベスト盤には、多くのカヴァーを生んだ大ヒット曲“人魚”も収録。

 

土橋安騎夫 『THE BEST OF ALL TIME』 starfish(2012)

レベッカ活動時から、松田聖子への楽曲提供や聖飢魔IIなどのプロデュースも手掛けてきた彼。これはミズノマリらゲスト・ヴォーカルを迎えたセルフ・カヴァー集だ。レベッカの曲もあり、アーバンな煌めきのなかに彼の際立ったソングライティング・センスが再確認できる。

 

RED WARRIORS 『THE WORLD OF RED WARRIORS』 コロムビア

レベッカを飛び出した木暮武彦が結成した、ブルージーでド派手なロックンロール・バンド。代表曲は“バラとワイン”“ルシアン・ヒルの上で”など。木暮によるメロディアスな楽曲を武器にデビューから2年余りでスタジアム級のバンドとなり、そして3年で散った。